送り付けられた退職祝い
去年の今頃。
私宛の花束が届いた。
昔、同僚だった人からのお届け物。
メッセージカードには、
「退職おめでとうございます。長い間、お疲れさまでした。」
と、書かれていた。
私が退職したのは、一昨年の3月。
花束が届いたのは、それから11か月半後のこと。
同業だったので、私の退職はとっくに知っておられるその方。
退職祝いをくださるのなら、なぜに今?
もし、忘れてたってのなら、メッセージカードにでも、
「遅くなって・・・」
の一言が添えられててもよさそうじゃない?
いただいておきながら、まあ、ひねくれたとらえ方。
でも。
でも。
送り主は、私の退職理由を知っている。
再発治療後に復職する時も、電話をかけてきて、
「なんぼ言っても、無理するやろ~。無理せんとってな~。」
と、わ~わ~と大泣きしながら言ってくれてた。
そういえば、初発の治療を後日に知った時も、
「なんで言ってくれへんかったん~。言ってや~。ほんま言ってな~。」
と、遠慮せずに話してほしいということを、しきりと言ってくれてた。
私より、少し年上の彼女。
めちゃくちゃ気が合うわけではないが、時々何人かで会ったりして、おしゃべりを楽しんできた。
友人というのとは違うけど、一緒に仕事をしてきた仲間として、これからも細く長く、おつきあいをしていくのだと思っていた。
コロナ禍で、彼女も含め、いつも集まっているメンバーの誰とも会う機会はなかった。
メンバーの中には、個別に、退職をねぎらってくれる方がいたり、励ましてくれる方がいたりはしたが、彼女からは何の連絡もなかった。
そんなもんだと思っていた。
みなさん、忙しい日々を送っているのに、病気で退職をする人のことを、気にはかけながらも、アプローチできずにいるなんて、よくあることだ。
自分が働いていた時のことを思うと、無理からぬことである。
むしろ、それでいいって思ってた。
できる人には、できる時に、がむしゃらに働いてほしいって思ってた。
でも、今回の花束には、とっても傷ついた。
送っていただいたのではなく、送り付けられたって感じた。
とりあえず、退職祝いはしたからね。
って、そんなメッセージに受け取れてしまった。
私は、あなたの退職について思いをはせるほどの仲ではないけど、義理を果たすために、せめて今年度中には送っとくね。
って、追伸もあるように受け取れてしまった。
こんなこと、わざわざ言う必要ある?
いやいや。言うてへんやん。
わざわざ、傷つける必要ある?
いやいや。それもわからへんやん。
私は、ひねくれているのだろうか。
ひねくれすぎているのだろうか。
その彼女は、この3月に退職となる。
せめて、私からは、形だけのお祝いはしない。
集まりがあっても、もう行かない。
大人げないわがまま。
いや。
大人だからこそ、わがままさせてもらう。
大人だからこそ、形だけを整えられた時の傷は、じわじわと広がりやすいのだ。
無駄にしょうもない経験を積んでいるだけに、
あ~かもしれん。こ~かもしれん。
と妄想たくましく、本筋の問題から、どんどん疑念を派生させてくのが上手なのだ。
ほんとかどうかわからんことでも、微に入り細に入り、具体的にエピソードが膨らんでいく。
ほんまも嘘も、尾ひれも背びれも、広がるひろがる。
まるで、利根川水系やん。
支流や湖沼が多く、日本一、流域面積が広いって、社会で習ったあの利根川やん。
行ったこともない利根川。
でも、地図帳で見る利根川は、実に印象深い。
水色の線が、あちこちに飛び出している。
血管みたいなその線たちは、数えきれないほど枝分かれをしている。
中学校の時に習った流域図は、今でも、さっと思いだせる。
花束にあるメッセージを読んだ時の、1年前の私の気持ちも、さっと思いだせる。
いろんな感情が、どんどん広がっていったあの時。
こんな雨の日はあかんなあ。
薄暗さが、よけいに沈みがちにさせる。
こういう時は、大好きなおせんべいを食べるに限る。
おせんべいは、塩せんべい一択。
醤油味よりも、ゴマ味よりも、カレー味よりも、わさび味よりも、
塩せんべいの優勝。
そして、やはり、米どころ日本一の新潟産のものが好き。
これが、ほんまに、おいしいんやなあ。
新潟といえば、信濃川。
信濃川といえば、日本一長い川って習ったなあ。