まずは、「好きになってもいいですか?」かららしい。
体力づくりのために、なんとかかんとか続けているウォーキング。
いったん外に出てしまうと、楽しく歩けるのだが、出てしまうまでに、けっこうなエネルギーを要するのだ。
お風呂と一緒である。
入ってしまえば、毎回、「なんで、こんなに気持ちがいいのに、ぐずぐずしていたんやろう。」と思うのに、今日も今日とてぐずるのである。
まだ、お風呂の場合は、好きな本をもっていき、誰にも邪魔されずに読む楽しさがある。お風呂の中での読書は最高である。湯船につかりながら、好きな読書を楽しめる。そのうえ、大量の汗をかくので、なんだかデトックス効果があるような気になる。お肌だってつるつる~。な気になる。
しかし、ウォーキングのための外出は、ただただ根性を要する。記録をつけたり、励みとなるような言葉を読み返したり、いろいろとやってはみるが、結局は根性である。とくに運動に関する根性が、ほぼ皆無な私には、なかなかに難しいのである。
それならば、音楽とか落語とか、何かを聴きながら歩くのはどうだろうかと考えた。それは、なんだか楽しそうである。それを思いついただけで、ちょっと、気持ちが上向いてきた。やっぱり、音楽かなあ。何にしようかなあ。
そう、思い出してから、もうずいぶんとたつが、実は、いまだに実行していない。
面倒なわけじゃない。
忘れているわけじゃない。
ただ、なんとなく、もったいない気がするのだ。
テレビやネットなど、情報に対して受け身でいることが多いので、屋外にいる時ぐらい、受け身はやめたほうがいいような気がするのだ。
歩いている時ぐらい、考え事をする時間にしてもいいのではないかと思うのだ。
そうかといって、実際は、大したことは考えていない。
「あ~、しんど。」
とか言ってることも多いし、とにかくひたすら歩くということの方が多かったりする。
でも、時々は、ちょっと考え事をすることもある。
そういう時は、難しいことを考えるのではなく、夕食の献立のことや、会話の中の言葉を思い出したりしている。昔のことを思い出すこともある。
先日も、ふと、娘のことを思い出していた。
今では、すっかり大人になり、社会人として生活している娘であるが、思い出すのは、子どものころのことがほとんどである。
娘が中学生の時の休日、家族みんなが家で過ごしていると、外から、何やら大きな声が聞こえてくることがあった。
どうやら、自転車で家の前を通り過ぎている男の子たちの声のようである。
よく聞いてみると、どうやら、二人の男の子が、娘の名前を叫んでいる。
しかも、呼び捨て。
びっくりしていると、
とつぜん、娘が、ゲラゲラと笑い出し、
「あ~。〇〇と△△やわ。」
と、声だけで判断していた。
〇〇の方は、わりと近所の子で、私たちも、小さいころからよく知っている。
△△は、知らないが、娘によると、〇〇同様、おちょけたタイプの子らしい。
二人して、小学生のように、選挙でもないのに、娘の名前を連呼しているのだ。
その幼さに、呆れつつも、吹き出す私。
が、隣を見ると、ぶぜんとした表情の夫がいる。
「なんや。あいつら。人の娘の名前を。何を考えてるんや。〇△×☆〇&・・・」
と、えらい剣幕で怒っている。
男の子たちの、非常識ぶりに、激怒しているのだ。
いやいや。そんなに、怒るほどのことでもないやろうに。
「別にいいやん。娘のことが気になるから、あんなことしてるだけの話やん。誰にも関心を持たれへんよりも、誰かに意識されたり、好きになられるような、そんな人になってほしいとか思わへんの?そんなことで、いちいち怒ってたら、もし、娘さんとお付き合いさせてくださいって人が来たら、どうすんの?」
と、とりなすように言ってみた。
すかさず、夫。
「はあ?付き合うとかそんなんの前に、まずあいさつやろ。」
「えっ?あいさつ?あいさつって、どんなあいさつ?」
と、質問する私に、またもや、間髪入れずに夫。
「そんなん、好きになってもいいですかのあいさつに、決まってるやろ!!」
世の人々は、「好きになってもいいですか?」のあいさつを、相手のご家族にしているんでしょうか。
夫は、私の家族に、そんなあいさつをいつしたんやろう。