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これしかできんかったんやなあ

もうすぐ孫2号がやってくる。(予定)

出産は、ほんと、千差万別。

目の前に、あの小さなものと娘の笑顔を見るまでは、安心できない。

そんなことを言いながらも、孫1号が、孫2号の登場によって、どんな様子を見せるのかを、とても楽しみにしている。

状況によっては、孫1号をお預かりすることもあるかもしれず、
娘夫婦には内緒であげるための、おやつとジュースの用意はばっちりである。
(だって、娘夫婦は、おやつに厳しすぎやねんもん。言い訳)



この日を迎えるまでの、娘ファミリーの姿を、離れたところから見てきた。

時には、お手伝いもしたけど、
でも、そんなことはほんの一部。

家族が力を合わせて、孫2号の登場に向けて奮闘する様子は、
木皿泉さんにも紹介できそうな物語やった。

新聞に載るような大きな出来事ではないけれど、
毎日なにかしらのエピソードが繰り広げられ、それらが解決されるわけでもなく、ただただ積み重ねられていく。

登場人物は、そんなエピソードの中で、いつのまにか変化をしていっていて、はたから見ているわたしには、それらを見る余裕がちょっとある。


そんな時に、ふと思う。

わたしは、子どもを一人産んだ。
うんと昔に。

その時、お祝いに駆けつけてくれた近所のおばちゃんが、

「あと二人は産まんとな。子どもは、三人おってはじめて、子育てがわかるんやで。」

と言って去っていった。

わたしが小さい時から、よく知っているおばちゃんである。


同じ時に、ギボに

「つぎは、男の子を産まんとな。」

と言われた。



わたしが、子どもを産んだのは、平成である。

それらのセリフを聞いた時に、心の中で、

「今、何時代やと思てんねん。よう、こんなセリフを、堂々と言えんなあ。」

と、毒づきながら、めちゃくちゃに呆れとった。

直接言い返すような根性はなかったけど。


令和の今やったら、もう思いっきり、ハラスメント対象になるセリフたち。

平成の当時にも、わたしは思いっきり鼻で笑っていた。

そして、それらを、いろんな人に、

「ありえへんやろ~~~~。」

と言いながら、同意を求めていた。


わたしが話すような相手やから、みなさん、そりゃあいとも簡単に同意を示してくれた。

そうそう、そうやろ。


でも、
でもやで。

たった一人だけ、同意をしていなかった人がいるねんなあ。


三人の子どもたちに囲まれて、わ~わ~振り回されながら、思い通りにならない日々を過ごす。
これこそが、子どものいる生活とちゃうか?

一人っこよりも、やっぱりきょうだいがいた方が、いいんとちゃうか?

子どものことよりも、自分の生活のことを優先しすぎてるんとちゃうか?


時々、新聞に載る出生率の低下のニュースにも、なんだかお尻がもぞもぞしたりして。


なにより、わたし自身が、どこかすわりの悪さを感じていたのである。

もうずっとである。


さすがに、時代も変わり、誰かに何かを言われることもない。

それでも、
ほんまにこれでよかったんか?
という思いが、ぬぐいきれないわたしがいた。


でも、今回あらたに家族編成が変わろうとしている娘ファミリーを見ていて、

あ~~。わたしには無理やったなあ。
わたしには、これしかできへんかったなあ。

と、つくづく思った。


仕事のこともある。
家の事情もある。
自分の性格のこともある。
自分の要領の悪さもある。
自分の腰引け体質もある。


要因は、いっぱいあった。

でも、一番は、その時そのとき必死にやってきた、その結果が今ってこと。

わたし自身が、
こうしようって決めたわけではなく、
こうしたいなあってのはあっても、
そこに踏み切れない、
いや、踏み込まない自分やったってこと。

これが、正解かどうかはわからへん。

今のわたしの状況は、自分が望んでいたものでは、なかったんやろうとは思う。


でも、これしかしょうがなかってんなあ。

これしかできんかってんなあ。


あと二か月で還暦。
そんな頃になって、ようやく気付く。


娘からのラインが届く。

そろそろ、孫2号がやってきそうやわ。


*写真は、田舎町にある、お気に入りのカフェのメニュー。
遊び心で作られたメニューだそうな。
でも、残念ながら、注文する人は少ないらしく、
遊び心がない人が多いわあ~
と、店主のすてきなママさんがぼやいてはった。

そうやな。
遊び心。
そんなもんがわたしにもあったらよかったかなあ。

お写真は、HPからお借りしました。
自分で撮影した写真が見つからず・・・。
すみません。



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