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イノダコーヒーと真夜中の涙      

イノダコーヒーが、むしょうに飲みたくなることがある。

イノダコーヒーとは、京都の老舗のコーヒーやさんである。
お店紹介の雑誌などに、バンバン載っているような有名なお店である。

そこのおすすめは、アラビアの真珠というカッコイイ名前のコーヒーで、
お店に行くと、必ずそれを注文する。

アラビアの真珠には、あらかじめ、お砂糖とミルクが入っている。
いつもは、ブラックで珈琲を飲む私だが、これについては、イノダさんの
おっしゃる通りに飲む方がおいしいと感じている。
ミルクも油分をしっかりと感じ、お砂糖もがっつりと甘い。
混ぜてしまうと、甘みが全体に広がってしまうので、私は混ぜないで飲む。
なので、飲み進めるにしたがって、だんだんと甘さが増してくる。
最後の方は、コーヒーというよりも、スイーツ。(言い過ぎ?)
そんな飲み方を、勝手に楽しんでいる。
おそらく、そんな変な飲み方をしている人はおらんやろうけど。


そう。
そのアラビアの真珠を、飲みたくてたまらなくなることがあるのだ。
1年に1回くらだいが、絶対に飲みたいと思ってしまう。
残念ながら京都在住ではないので、ほいほいと飲みに行けるわけではない。
しかも、このコロナ禍で、京都の街中に向かうことは、ほぼほぼない。
そんな時に、
絶対にアラビアの真珠が飲みたい病が、急に襲ってきてしまった。
しかも、今回は、モーニングも一緒に食べたいという、謎のオプションもついてきた。
しかも、本店限定で。
えらい、限定されたわがままな病気である。
飲みたい。
食べたい。
行きたい。


二日に一回は、
飲みたい。
食べたい。
行きたい。
と、呪文を唱えている。


そんな私に、夫は、
「行きたいなあ~。」
と、にっこりしながら答える。

二日に一回、この会話が繰り返されるようになり、半年以上になるだろうか。

早く、行けばいいじゃないか。

行く気になれば、行けるじゃないか。

やりたいことはやるって、決めてたやんか。

ちゃっちゃと、行って来たらいいやんか。

そう思いながら、毎回、「行きたいなあ~。」という夫の言葉に、がっかりしていた。

それやったら、一人で行ったらいいやんか。




一昨日のこと。
買い物から帰ってきたら、玄関に紙袋が置かれていた。
中から、立派なネギがのぞいている。
他には、美味しそうなジャガイモと梨も入っていた。

紙袋には、うんと昔に、職場でお世話になった大先輩からのメッセージが書かれていた。
わざわざ届けてくださったんや。
メッセージによると、ネギは、その大先輩の畑で採れたものらしい。
畑をされているのか。
そんな近況から、お元気な様子がわかりうれしい。
ネギもジャガイモも梨もうれしい。
そして、何より、わざわざ届けてくださるお気持ちがうれしい。

その夜、その先輩からメールが届く。
その文面の最後に、
「早く寛解にむかいますように。」
とあった。

私の病気のことを、気にかけてくださっていることは知っていた。
同じように、心配してくださる人々は、私のような者にも何人かはいる。

ただ、ほとんどのみなさんは、
「無理をしないでね。」
「好きなことをして、のんびりと過ごしてね。」
「わがままを言ってね。」
などなど、優しい言葉をかけてくださる。

実母なんて、
「ガンでもがんばり~。」
「ガンやけどがんがんやらな~。」
とか、しょうもないギャグにして言ってくる。

どれも、はげましの気持ちが伝わってくる。
でも、どれも、なんだか最後を意識した過ごし方を、諭されているような気持ちになるのだ。
これまで、つっぱしてきた私だからこその、優しいお言葉である。

私としても、できるだけ、寿命に逆らわずにいたいとは思っている。
現在受けている治療についても、長生きをするためではなく、ぎりぎりまで動ける状態でいるためと考えている。
そう。
励ましてくれるみなさんと同じく、最後を意識しているのだ。


そんな日常を送っている私に、寛解を願ってくれる人がいることに、驚いた。
寛解という言葉を、私に向けて使ってくださる。
まだ、私のこの先に、期待をしてくださるのか。

いや。
この先のことだけではなく、むしろ、
これまでの私の過ごしてきた時間を、大切にしてもらえたような気がした。
寛解しようが、しなかろうが、そんなことはどうでもいい。
これといって何かをなしとげたわけでもない私の人生。
それでも、自分なりに、こちゃこちゃと生きてきた。
そのことを、ちょっとは認めてもらえたような気がしたのだ。

何度も何度もその文面を読み返した。


その夜は、なかなか寝つけずに、夜中にPCのスイッチを入れる。

なんとなく、イノダコーヒーのホームページを開く。

メニューを見る。

アラビアの真珠。
あるある。
当たり前か。

京のモーニング。
あるある。
観光客に大人気だとか。へえ~~。

高すぎて、とても私の口には入らないと思われるビーフカツサンド。
やっぱり高い。
いつか自分へのご褒美にしたい。
とか言ってるうちに、お薬の関係で今となっては食べられない。

名物レモンパイ。
絶対に、上あごにはりつくやつ。
はりついてこそ、イノダのレモンパイを実感する。
もちろん美味しい。

イタリアン。
慇懃な銀の食器が粋なやつ。
いつぞや、隣のおばあさまが食べているのを見て、負けじと注文したことがあった。
パスタではなく、スパゲティ。
そこが、銀の食器にぴったり。
こちらも、もちろん美味しい。


そんなメニューを見ていると、なぜか、涙があふれてきた。

こんもりと涙が盛り上がってきたかと思うと、次々と流れてくるやつだ。

声は出ない。
涙だけが、こんもりつつーっと、流れ続ける。

なんで、泣いてるんや。

自分でもわからない。

なんでや。

しかも、イノダのメニューを見て涙なんて、ますますわからない。



泣いてんと、早く食べに行きーな。
明日にでも行きーな。


せやけど、この涙。
もしかして、私。
「行きたいな~。」やなくて
「ほな、行こ。」が欲しかったんかもしれんなあ。

イノダコーヒーは一人でも飲めるけど、
私の思いに、心傾けて欲しかったんかもしれんなあ。


寄り添って欲しかっただけかもしれんなあ。

そんな、コーヒーひとつで、大げさな。
自分でもなんぎやわ。


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