とある小さなライブハウスにて 大人の本気に圧倒される
月曜日に、琵琶湖のほとりにある、小さなライブハウスに行ってきた。
sonho(ソニョ)というデュオに、パーカッショニストの石川智さんが加わった3人編成の演奏で、ボサノバなどのブラジル音楽を楽しんできた。
sonho(ソニョ)は、ボーカルの高尾典江さんと、ピアニストの中島徹さんのデュオで、大好きなユニットである。
そこに、今回は、パーカッショニストの石川智さんが加わり、またいつもとは違った演奏を楽しませてもらった。
いやいや。
楽しませてもらったなんてもんじゃない。
がっつり、のめりこませてもらった。
2人が3人になるってことは、単に楽器の音が増えるってだけじゃなく、互いに力を引き出し合うので、同じ曲でも、いつもとは全く違う曲が作り出される感じがする。
素人がえらそうにすみません。
でも、今回のライブは、特にそれを感じたように思うのだ。
なんだか、3人のエネルギーが混ざり合うのが、見えるような気がしたのだ。
はい。素人がえらそうにすみません。
もしかして、これがグルーブってやつなのか?
あの何回説明を聞いても、ちっとも理解できなかったやつ?
聴いてるほうも、全集中(ふっ、ふるい?)なので、めちゃくちゃ疲れる。
1曲終わるたびに、拍手と同じくらいため息がもれてしまう。
ため息というよりも、はあっ・・・と声が出てしまうのだ。
まるで、昨日の、WBCの準決勝の大谷選手が投球のたびに、大きな声を出していたように。
あっ、野球も素人なのに、これまたすみません。
素人のしょうもないコメントはこれくらいにして。
こういった小さなライブハウスの集客は、どうやら年々厳しいらしい。
もちろん、コロナ禍の影響もあるだろう。
でも、大きなホールでライブをするようなアーティストは、コロナが落ち着いたら、きっとまた復活していくのだと思われるが、
今回のような小さなライブハウスは、どうだろう。
コロナ禍以前から、だんだんとお客さんは減っていたようだし。
好きなものも多様となり、音楽の好みも同じく多様となり、いろんなジャンルの音楽に、人々も分散されているのだろう。
それに、時間的に制約されない配信の方が、便利だったり、安価だったりもするのだろう。
わざわざライブハウスに足を運ぶなんて、めんどっちいのかもしれない。
ここで、
「いやあ。生の演奏の迫力って、そりゃあすごいんですよ。」
なんて言っても、あまり説得力はなさそうだ。
「そうかもしれないけど、そこまでしなくっても十分です。」
と、言われていおしまいである。
それでも、めげずにおすすめしてみるが。
「いやいや。十分かもしれないけど、生の演奏を聴くと、二十分にも三十分にもなると思うで。」
「えっ!別に、十分で十分やし。」
「そんなこと言わんと、一回だまされたと思って、ライブハウスに足を運んでみてよ。」
「そんなん、わざわざだまされたくないし。」
などなど、何の説得力もない、あやしい勧誘に終わってしまいそうである。
しかし。
生の演奏のすごさは、音の迫力や臨場感というのも大きな魅力だが、何より大人の本気の姿を見ることができるのだ。
それも、プロとして誇りをもってステージに立つ人々の本気は、その場にいる人たちを圧倒し、巻き込んでいき、しかも、エネルギーを与えてくれる。
一緒に聴いていた友人は、
「いやあ。週の始めに、いいもん見たわ。これで、今週頑張れる。今日も、朝から、イヤイヤ仕事に行っててん。」
と、でっかい声で言ってた。
ほんまそれ。
まさしく、エネルギー充電。
少し前の、坂本美雨さんのラジオ番組で、美雨さんが、ご両親のことをちらっと語っていた。
あの偉大なご両親なので、興味深く聴いていたんだけど、
美雨さんは、ご両親に対して、音楽についての頼み事なんて、とてもできないということだった。
一緒に演奏して欲しいなんて、とても言えないらしい。
ピリピリしたものを、つねに感じてきたそうだ。
でも、小さなころから、ご両親をはじめ、いろんなミュージシャンの姿に、大人の本気を見せてもらってきたという表現をされていた。
大人の本気って、刺さるんですよねえ。
と、美雨さんがあの優しい声で語っていた。
そんな話を思い出した今回のライブ。
それにしても、大人の本気かあ。
まだ、今からでも、しぼりだせるやろうか。