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【戦争で焼けた岡山城下の高校生のリアル】 ~自由で便利な時代だからこそ、大切にしたいこと~

こんにちは!100歳図書館の事務局メンバー【ライター担当】えっちゃんこと柴田 惠津子です!

今回ご紹介する人生最高の1枚の写真
戦争で焼けた岡山城下の高校生のリアル
~自由で便利な時代だからこそ、大切にしたいこと~

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こちらは、終戦から間もないころの岡山城下で撮影されたお写真です。

戦争を乗り越えた高校生たちの笑顔が、とてもイキイキしていますね。

持ち主は……
戦前・戦後の激動の時代をかけ抜けてこられた、馬場 吟次郎さん
(写真 後方の左から2番目)

2021年現在、88歳。戦後の高度経済成長期、高速道路を建設する事業の第一線を担い、全国各地を15回以上も転勤しながら、仕事に熱心に取り組んでこられました。

そんな責任感が強くてしっかり者の吟次郎さんですが、笑顔がかわいらしい高校生だったんですね!

第二次世界大戦中から終戦、戦後、そして2021年はコロナという、たくさんの時代の変化を見てこられた吟次郎さんだからこそ、伝えたいこととは……?

それでは、聞いてみましょう!

この写真に込められた吟次郎さんの想い。
2021年2月21日 「つながる100歳図書館」で語っていただきました。
この記事では、そのエッセンスをまとめてご紹介していきます。

📕 📗 📙

高校時代の青春の1ページは、空襲で焼失した岡山城下で

- 終戦後の岡山城下。撮影されたときの状況はどんな感じでしたか?

撮影されたのは、わたしが17、18歳くらいのとき。

終戦から4~5年くらい経った昭和25年ごろです。

場所は、岡山後楽園です。岡山後楽園は、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園の1つにも称されている場所になります。

本当は、後ろのほうに岡山城が見えるはずなのですが、昭和20年の岡山空襲で焼けてしまって、写っていないんですよ。


- なんと、お城が戦争で焼けてしまっていたとは……。そう思うと、いっそう特別なお写真に見えてきますね。

ちょうどこのころは、戦争が終わって、時代がだんだんとよくなってきている過程のなかにありまして、地元の男女6人で岡山後楽園に遊びに行ったときの写真になります。

撮ってくれたのは、学校の写真クラブに入っていた子だったかな。一眼レフを買ってもらって、肩にかけて歩く姿が嬉しそうでした。

でも、こうやって男女で遊びに行くのは、非常に珍しいことでもあったんですよ。当時、わたしの地元では、男女は別々の学校に通っていましたし、現代のように男女が電車にごちゃ混ぜになって一緒に乗ることも少なかった時代ですから。


ー たしかに吟次郎さん、隣にいる女子生徒さんから距離をとっているようにも見えます(笑)とはいえ、戦後の大変な時期とは思えないほど、皆さんの笑顔がまぶしいです。

ほんと、笑顔がいいですな。

家のことも社会のこともわからない年頃でもありましたから、本当に青春の真っ只中という感じでしたね。


- どの時代の高校生たちにも青春の1ページというものがあるんだなぁと思いました。でも、焼けてしまった岡山城をバックに撮影したお写真はとても貴重ですし、後世にも歴史を伝えられる特別な1枚ですね。

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軍国主義から自由主義へ。一気に変わった高校時代

- 吟次郎さんはどんな高校生だったんですか?

野球が大好きな高校生で、終戦後は、野球に明け暮れていましたよ。

わたしはお百姓も経験していたので、肩が強かったんです。なので、キャッチャーやピッチャーも得意でした。

ただ、当時は物が何でも手に入る時代ではなかったので、グローブを買うために一苦労しましたね。母親に無理を言ってお金を出してもらい、岡山駅前にあった闇市という露天市で買ってきたこともありました


- 戦前・戦後を生きていくなかで、吟次郎さんとして、社会の変化を感じるなど、何か思うことなどもあったのではないでしょうか。

終戦後の日本は、軍事力を強化するための軍国主義から、やりたいことをやって言いたいことを言って自由に行動できる、個人の権利や自由が尊重される自由主義の時代へ、一気に変わっていったように思いましたね。

でも、自由だからといって、何でもやっていい、言いたいことを言っていい、と勘違いしてはいけないな、と考えさせられたこともありました。

2021年現在は、コロナによってさまざまな制約もありますよね。

そんな今だからこそ、もっと身近に目を向けて、助け合いや感謝の気持ちを忘れないでいることも大切になるんじゃないかなと思います。


庭の手入れは、わたしの日課。まずは自分自身が満足できるように

- 吟次郎さん、お家のお庭のお手入れも力をいれているそうですね!

庭には、生前の母親が植えた花がありまして、肥料をまいたり、庭の専門家に聞いたりして、日々大切に育てています。

草花を見ていると、母親が「こんにちは」って挨拶してくれているような感じもしてね、ご先祖さんを思い出しますよ。庭を形見のように思っていますので、ご先祖さんには「今日もお手入れしましたよ」と心で伝えています。

庭の手入れは、わたしの日課なんですよね。誰かが来るからキレイにしなきゃ、というのは好きじゃなくて。

日々の積み重ねがあるから、庭もキレイな姿が現れてくるように思います。

まずは自分自身が満足できるように

日々是好日という言葉があるように、1日1日を大切にして過ごしていきたいですね。


- 2021年現在、88歳。90代に向けて目標はありますか?

健康にはますます留意していきたいと思っています。なるべく自立して生きていくためにも、健康は財産になりますからね。

そのためには、日々の食生活が大事だと考えていますので、妻が作ってくれた食事を残さず食べるようにしています。

なので、妻にはずっと元気でいてもらって、食べさせてもらいたいなと。


- よかったら、ここで奥さまにも感謝のメッセージなどいかがですか?

よくテレビで観るやつですよね?(笑)

この歳になると、心で思っていてもなかなか表面に出てこないですが……

妻がわたしをどう評価しているかわかりませんけどね。

でも、わたしは妻に対して日常的に最善の努力をしているつもりですが、ちゃんと感じ取ってくれているかどうか、逆に聞きたいような気もしますけど……

これからも……よろしゅう頼みます。


- あれ、「ありがとう」を言いきれていない(笑)でもきっと伝わったはずですよ~!ありがとうございます!いや~~、戦前から戦後を生きてこられた吟次郎さんの経験談も、自由で便利な現代に生きている方々、コロナという状況下に生きている方々にも響くことや気づきになることが詰まっているように思いました。貴重なお話をありがとうございました。そして、これからもご夫婦でいつまでも元気で過ごしてくださいね!

執筆:柴田 惠津子

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プロフ馬場吟次郎さん

馬場 吟次郎さん プロフィール

好きな言葉 「日々是好日」
1932年8月31日生まれ、岡山県岡山市在住。88歳(2021年現在)。大阪府庁を経て、有料道路の新設・維持・管理などを担ってきた日本道路公団(当時)に勤務。大阪から奈良を結ぶ阪奈道路を建築する事業に携わるなど、戦後の日本の高度経済成長を支えた。大阪、滋賀、愛知、茨城、千葉など全国各地を15回以上も転勤。現在は退職し、岡山市内で奥さまである督子さんと2人暮らし。地域の町内会長や公民館の運営委員などを務めるなど、地域の活動を行っている。2021年2月21日、100歳図書館に登壇

ご夫婦で登壇してくださいました!

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 ↓奥さま 馬場 督子さんの記事はこちら↓

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