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直売所の組合長を卒業しました

春は何かと新しいことに挑戦してみたくなる時期ですね!

私事ですが、このたび任期満了に伴い、和田宿ステーション青空市場組合という農産物直売所の組合長を退任し、組合にも退会届を提出しました。組合長は四年間、二期勤めてきましたが、この度、惜しまれながらも卒業させてもらうことになりました。

まだ若いのに何故?
店舗改装もかなって、これからという時に何故?
何か問題があるのか?

といった事を尋ねられるので、その理由を説明したいと思いますが、その前に順を追って大まかな流れを記しておきます。

・Uターンして野菜農家を始めたら組合員加入を要請され承諾
・二年後、組合長に押し上げられる
・前組合長がクレーマーとなり組合の金をせびり始める
・店員が辞めまくり、入れ替わる
・売上と組合員が減少を続け、そこにコロナの追い打ち ←今ここ

組合の成り立ち

出荷組合の歴史は20年以上におよびます。主に国道142号線を通過する観光客むけに、国道沿いの掘っ立て小屋で農協を通さずに地元農産物を販売する形態でスタート。その後、都市農村交流の拠点として、当時、農水省の補助金を利用して和田宿ステーションという道の駅に酷似した施設が建設され、その直売所部門として一般社団法人・青空市場組合に移行しました。結成時の組合員は30人以上、ほぼ全員が60歳前後の小規模兼業農家の集まりでした。彼らとは別に、運営に関する議決権を一切持たない一般会員という人々も200人以上いました。直売所乱立時代突入前の好景気の時代で、店に値段をつけて出せば、どんな野菜やキノコでも飛ぶように売れる時代でした。

それから年月が経過し、組合員の平均年齢も80代にさしかかり、中にはあの世に旅立つ者もチラホラと増え始めていた四年前、当時組合に加入してまだ二年しかたっていないペーペーの新米組合員だった私が、いきなり組合長に祭り上げられてしまいました。

組合員全員の名前も知らないのに!しかも彼等にしたら私は孫という年齢なのに! いきなり高齢者団体の代表をやれと言うのです。後継者が誰もいない高齢農家たちの苦渋の決断でした。

密室での決定

ある晩、当時の副会長から電話がきて、高齢により理事全員が交代したく、私には会計、副会長をお願いしたいという相談でした。「会長は下和田の人がやってくれるから、その新会長についていけば良いよ」ということだったので、何だかよく分からないけれど、おじいちゃんのお願いだし、年齢的にも仕方ないよなと思って理事会に向かいました。

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