100キロ歩く?何のために?
元・踊り侍、現・高田馬場経済新聞学生記者
佐藤 真帆
2019年、本庄〜早稲田100キロハイクに参加した。
当時大学2年だった。
1年の頃から100ハイの存在は知っていたけど、
疑問だった。
私が所属していたよさこいサークル「踊り侍」は、
毎年2・3年が100ハイに参加することになっている。
人生の中でめんどくさいことを避けてきた私は、
早稲田が100ハイムードになる中、
どうしてもその波に乗り切れなかった。
でもなんだかんだ、みんなが出るなら出たいかもという軽い気持ちで参加を決め、決めた後もずっと悩んだけど、最後は先輩からのこのLINEで覚悟を決めた。
本気でリタイアを考えた1区
100ハイの朝は早い。
朝4時半に起床、
100キロという見えない壁が怖くて不安で、
正直全く眠れなかった。
さすがにこの体で歩けないからと、
家を出る前にオロナミンCを飲んだ。
これが地獄の始まりだったとは。。。
不安だったけど同期の顔を見ると安心して、
少し気持ちが楽になってきた出発前。
そして一気に走り出す。
みんなと離れたくなくて必死でついていった。
「あれ、ヤバイかも、ちょっとトイレいってくる、
先行ってて!」そう同期に声をかけてたまたま見つけたスーパーに駆け込む。
猛烈な腹痛に襲われ、動けなくなった。
スーパーの店員さんからも声をかけられてしまうくらい、動けなかった。
こういう日に普段あまり飲まないオロナミンCなんて飲まなきゃよかった、、
そして頭をよぎるリタイアの文字。
でもまだ始まったばかり、
まだ1区の序盤にすぎない地点だった。
とりあえず、歩こう。
腹痛が止まらない中、スーパーを出た。
誰も、いない。
そうか、私は今、最後尾にいるのか。
サークルの代表と連絡をとって合流するまで、
腹痛と孤独と自分の情けなさと戦った。
仲間が増えた2区
しばらく、代表に助けられながら2人で歩いた。
ちらほら人が見え始め、同期と合流できた。
1区から変わらず、腹痛が続いていた。
代表が薬を買ってくれたり、
みんなが大丈夫?って声かけてくれて、
歩くペースも合わせてくれて、
本当に優しい世界だった。
終わりが見えなかった3区
3区に入ると、仲間がもっと増えた。
夕方になり、夜になり、
あたりはすっかり暗くなった。
あんなに私を苦しめた腹痛は夜になるころには
もうどこかへ消えていた。
そして新たな敵・足の痛みが襲った。
痛み止めを飲みながら、
薬が効くことを信じて前に進んだ。
(結局全然効果なくて、意味ないじゃんってみんなで怒ってた)
暗闇の中、
どこに続くかも分からない道を進んでいく。
いつ終わるのか、本当に終わりは来るのだろうか。
そんな中、
先頭集団が3区のゴールに着いたと連絡が入る。
いつ着くかなんて分からないけど、
前に進むしかない。
当時三役テーマだったこの言葉。
1区で孤独と戦った私にとって、みんなと歩けている今がどれだけしあわせなことなのか、あたりまえなんてないんだって、すごく考えせられたのを覚えている。
出発してからずっと見てなかった同期・先輩の顔を見ると、安心して、泣きそうだった。
多分泣いていた。
ずいぶん前に着いていたのに寝ずに私たちの到着を待っていてくれて、
「よく頑張ったな」って言いながら荷物を持ってくれたあの強さは忘れない。
マグマに苦しんだ4区
2日目が始まる。
短時間だけど意外と寝れて、復活した。
そして1人じゃないことが何よりも大きな活力だった。腹痛は昨日が嘘のようになくなり、足の痛みは我慢できるほどに落ち着いていた。
と油断していた時、マグマに襲われた。
未だにあれが何だったのかよくわかっていないが、
マグマだった。
靴の中で摩擦が起きているのか、
とにかく足が熱くて熱くて、
途中のコンビニで氷を買って冷やしたりもした。
ただ1つ救いだったのは、
同じ現象に苦しむ友達がいたこと。
休憩所・所沢キャンパスで「所沢体育大会」が。
半分以上の距離を歩いて披露の溜まった身体で男子たちが死闘を繰り広げた。
足を冷やしながら、その勇姿を見届けた。
旗を目がけて進んだ5区
どこかのサークルの大きな旗がずっと見えていて、
それを見失わないように、遅れないようにスピードを保とうと頑張っていた。
いつの間にか見えなくなって、
そして長い長い「青梅街道」に入った。
足の痛み、身体の疲れがピークに達したのが5区。
ずっと一緒にいた友達も疲れ果て、会話もなくなり、ひたすら無言で歩き続けた。
みんなで支え合った6区
5区の休憩所「学院」で少し長めの休憩をとって
ラスト6区に挑む。
不思議なことに、
最後の区にもなると寂しくなってくる。
あんなに辛くて、早く終わって欲しい、
リタイアまで考えたこの100ハイが、
もう終わる。
そんなことを考えていたらピークに達していたはずの身体の疲れが消えて、
ランニングハイの状態になっていた。
中野辺りだったか、曖昧だが後ろを歩く同期と合流してみんなでゴールを目指した。
足を痛めた同期、
到底1人で歩ける状態ではなかった。
肩を貸し、「頑張ろう」と声をかけ続ける。
そして見えた高田馬場。
いつもより何倍も、何百倍にも綺麗に見えて、
不思議な気持ちになる。
「あと少し」「頑張ろう」「ありがとう」
みんなで声を掛け合った。
こんな温かい気持ちになるとは思ってなかった。
「ああ、100ハイ、出てよかった」
ここまで長々と体験談を綴ってきたけど、
結局この一言に尽きるんです。
出てよかった。本当に出てよかった。
出たからこそ見えたモノがあって、
出たからこそ早稲田をもっと好きになれた。
出なくたって、
普通に楽しいことがあるかもしれない。
でもそれはあくまで普通に過ぎない。
早稲田という場所だからこそできること、
その1つが100ハイで、
他の大学にいれば経験できない、
普通じゃない楽しさを味わえる。
せっかく早稲田にいるなら、
そこに100ハイがあるなら、出よう。
最後に
ここまで読んでくれた方、
本当に長文失礼しました。
自分が経験したこと、
どうせ書くなら全部書きたくなったんです。
そして簡単に自己紹介だけさせてください。
現在文化構想学部表象メディア論系4年、
大学では踊り侍に所属していました、
そして高田馬場経済新聞学生記者として活動させていただいている、佐藤真帆と申します。
先日100キロハイクの取材をさせていただいたご縁で、今回体験談の依頼を受けることになりました。
ずっと頭の中に眠っていた100ハイの思い出が、
文章になって、
今読んでくれているあなたと共有できたことが本当に嬉しいです。
私が体験したありのままを書きました。
100ハイで見える景色、得られるものは、
参加した人の数だけあります。
もしあなたが100ハイに出た時には、
話を聞かせて下さい。
腹痛とマグマにはお気をつけて...🚶♂️
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