100ハイ体験記
ラテンアメリカ協会 前田ひろき
100キロハイク。
入学前から早稲祭、早慶戦に並ぶ早稲田三大イベントだと聞いていた。新歓で行ったサークルで参加者を募集してたので、早大生なら当然参加するのだと迷わず参加した。だが、他のサークルで100ハイに出ることを話すと、「え、参加するの?」、「参加してもキツいだけだよ」と言われ、参加するのが少数派であることを知った。
でも迎えた当日、仮装してる人や縛りを発表している人を見てこれが早稲田か!とワクワクした。いざ歩き始めると最初の方は楽しかったが、延々と山道が続き景色も変わらず、20キロを超えたあたりから辛くなっていった。それでも何とかみんなで歌いながら歩いていくと、街が見え一日目のゴールの体育館に着いた。
だが、そこからが地獄だった。寝れないのだ。汗をかいてるのに風呂にも入れず、体育館で1000人が雑魚寝をしているため寝息やいびきが気になってしまう。ようやく少し寝たかなと思ったら、高い金属音で目が覚めた。昂揚会の人が鍋を叩いているのだ。私史上最悪の寝覚めだっただろう。
正直言うと二日目はあまり覚えていない。特別キツイとも思わなかったし、ただひたすら歩いてたのだと思う。もうすでにガン極っていたのだろう。でも一番キツかったのは、歩く中で東村山にある私の家の近くを通ったことだ。見慣れた景色が広がり私の家が見えたとき、家に帰りたいと思ったのと同時に、本庄からここまできたのだから諦めるわけにはいかないというパワーもみなぎってきた。
そして、最後の休憩を早稲田学院で終え、歩き続けると綺麗な街が見えてきた。そう、高田馬場だ。少なくとも綺麗とは言えない街である高田馬場のネオンが、あんなにも輝いて見えた日はそれ以降ない。馬場歩きの道に入ると不思議とさっきまで重かった足が軽くなり一緒に歩いていたメンバーと走り出していた。100ハイで一番楽しい瞬間だった。そして無事にゴールすることができたのである。
100ハイに参加したからといって、お金や賞品がもらえるわけではない。でもその達成感は筆舌に尽くしがたいものがあるし、100ハイでしか得られない何かがあり、そこの100ハイに参加する意味があるのだと思う。
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