ガン極まりをのぞく時、ガン極まりもまたこちらをのぞいているのだ
稲吟会スタッフ 敷嶋佑哉
はじめに
今から2年前の第57回本庄~早稲田100キロハイク、当時1年であった僕は、100ハイ主催の早稲田精神昂揚会の友好サークルである稲吟会から、スタッフ側の人間として参加した。スタッフとはいっても、当時の2年以上の先輩方がやっていたような100ハイの管理・運営の立場ではなく、歩行スタッフという立場であった。
歩行スタッフとは、参加者と同様に100ハイに参加しながらも、その道中で参加者の安全を確保したり、緊急の対応にあたったりするという役職である。まあ要するに移動型警備員のようなものだ。
スタッフの証として学ランを着用し、運営側の立場にいながらも、100ハイの全行程に参加できるという一粒で二度美味しい立ち位置から僕の100ハイは始まった。
1.個性の百鬼夜行
日差しの心地良い朝8時半頃、100ハイのスタート地点であるJA埼玉ひびきので開会式が行われた。100ハイ実行委員長の熱い挨拶から、校歌、紺碧の合唱で、参加者のボルテージは最高潮に達する。
そんな中何より目立ったのは、丸刈りの頭に手ぬぐいを巻き、学ランを身に纏って、1000を超える参加者の前に仁王立ちする獣のような連中の存在であった。聞けばどうやら、僕と同じ1年らしい。
「あれが昂揚会か…。なんかチンピラみたいだし関わらないでおこう。」
そんな風に当時は思っていた。
そしていよいよ100ハイのスタートが切られた。スタートの瞬間、昂揚会が怒号と共に猛ダッシュをし始め、間髪入れずに本庄市が揺さぶられんとする勢いの雄叫びをあげながら参加者が走り始めた。それはまるで、戦で敵陣目掛けて突っ走る武士の様であった。僕は走るのもそこそこに歩き始めたが、先頭集団は100m、200m、300m先でもまだ走り続けている。これじゃあ100キロハイクじゃなくて100キロランニングだ。僕は早くも100ハイの怒涛の勢いに飲み込まれていた。なんとここまでスタートから僅か30秒ほどの出来事である。
軽快に歩みを進めながら、他の参加者を見渡してみると、実に色々な参加者がいる。サークル単位で参加している大所帯の集団、かれこれ100ハイに参加するのは10回目という100ハイ熟練者のOB・OG、十字架を背負ったキリストのように早稲田のWを背負う上裸の救世主、台車に馬の下半身を貼り付け、ケンタウロスのように闊歩する者、果ては30kg超えの激重キャリーケースを引き摺りながら完走を目指す縛りプレイ履行者など、各々個性が爆発していた。そんな個性の塊のような人達を和気藹々と話しながら歩いているうちに1区は終わった。
1区休憩所での補給、仮装大賞の発表を経て、2区が始まった。2区スタートも1区と同様、猛ダッシュで先頭が突っ走る。というか、全区間猛ダッシュで始まる。前半の1区、2区なら分かるが、疲労が蓄積した後半の区間においても全力疾走する連中がごまんといるというのだから驚きである。
とはいえ、ここはまだ2区、僕自身まだまだ体力と気力には満ち溢れていた。なんなら、あれ?先輩は100ハイ過酷だって言ってたけどなんか余裕じゃね?100ハイラクショ~~とか考えていた。しかし、この考えは甘かった。
2.股ずれの訪れ
2区も後半、通算30km以上歩いた頃だっただろうか、歩行中の敷嶋に異常発生。あれ?内腿がヒリヒリして痛くなってきたぞ…?
そう、長距離歩行で稀によくある股ずれが突如として襲ってきたのである。
説明しよう。股ずれとはぽっちゃり目の人が長距離歩行で成りがちで、太ももの内側同士がこすれまくったせいで皮膚に炎症や痛みが生じる状態のことである。
これが結構キツくてですね、股ずれは肉刺と同じく、早めに適切な処置を行わないと、その後延々とスリップダメージを受け続けることになるんですねえ、ええ。なので、100ハイに参加するって人で、自分ぽっちゃり目かもしれん…って方にはですね、事前にワセリンとか馬油を用意して、内腿に塗りたくることをオススメします。いやマジで。股ずれを雑に治療するとその後の区間で半ベソかきながら歩行することになるからな。お兄さんと約束だぞ。
3区に入り、薬局でワセリンを購入…ではなく湿布を爆買いし、ひたすら内腿に貼り付けるという大チョンボを犯してしまった僕は、早くもガン極まり、情けなく後方をトボトボと歩いていた。しかし、悪いことばかりではなかった。3区の途中から、フラッシュ○ブの激カワ2女と歩くというGoodでNiceなイベントが発生したのである。それは終わりの見えない暗い山道を彷徨うなか差し込んだ、一筋の光であった。きっと100ハイの神が敷嶋に幸あれ、と微笑んだのだろう。薬局のトイレでひたすら意味のない湿布を貼り続けた忌まわしき過去がちょっとは報われたような気がした。件の2女とキャッキャと話しながら進んでいくうちに、元気を取り戻し、体力と気力と下心を爆発させた僕は、股ずれのことなど忘れて突き進み、宿泊所に辿り着いた。
3.戦いの中で成長する
そうして迎えた2日目。1日目に100ハイの酸いも甘いも経験し、一回り成長した僕は、二度とあんな過ちは犯すまいと心に誓い、入念にケアを重ね、4区を突破し、続く5区、6区も順調に進み―――
ませんでした。
いや、普通に5区出発前に腹下したんですよね。しかも、股ずれの応急処置がゴミだったせいで股ずれが悪化してて、ケツ拭くの苦労して余計時間掛かったんですよね。こういう弊害も生まれるので、100ハイに参加される勇猛果敢な全早稲田生におかれましては、くれぐれも股ずれには気をつけてください。さっきから股ずれの話しかしてないな…。
最後尾からの5区スタート。しかしくよくよしてはいられない。最高速度で歩く。道中、疲労骨折で無念のリタイアとなった方の対応を挟みつつ、参加者の大群を追いかけた。それにしても5区は景色が変わらない。一生同じ場所を歩いているように感じる。そう、5区もまた3区と並び100ハイの魔境なのだ。3区のナイトハイクでは山道に体力が削られるのに対し、5区の新青梅街道は、歩いても歩いても変わらぬ風景に心が削られるのである。要するに5区とは精神面の強さが問われる区間ということだ。
正直キツかったが、5区でリタイアを選択した参加者の無念、いや、ここに至るまで悔しくもリタイアとなった人達の想いも背負って完走しようという気持ちが勝った。見えない何かに突き動かされるという感覚は初めてだった。
そのまま5区を越え、6区に入り、いよいよ高田馬場の町並みが見えてきた。馬場歩きに差し掛かったあたりでちょうど閉会式が始まり、残念ながら参加することは叶わなかった。
しかしながら、先頭集団が高田馬場を通ってからもう2時間以上は経過しているというのに、町の人々から頑張れ!と熱い声援を頂いた。胸が熱くなった。
そうして遂に大隈講堂に辿り着いた。完歩した。やりきった。感無量だった。先輩からねぎらいの言葉をもらいながら、2日間共に歩いた稲吟会歩行スタッフ一同と思い出を語り合いながら、用意してくれたわせ弁に食らいついた。あれは最高に美味いメシだった。
おわりに
ここまでいかがだったでしょうか?随分長々と書き連ねてきましたが、他にも数え切れないほど、まだまだ100ハイの思い出があります。きっと他の参加者もそうでしょう。参加者の数だけ、十人十色の100ハイストーリーたるものがあります。
余談ですが、かつては100ハイの開会式で関わらんとこ…と思っていた昂揚会に今では所属し、チンピラみたいな連中を同期と呼ぶことになっているのですから、不思議なものです。思ってもみないような巡り合わせが100ハイにはあります。そして、この思ってもみないような出会いや出来事に溢れているという魅力こそが、60年近く早稲田生を、人々を惹きつけ、早稲田三大行事と称されるにまで至った最大の理由ではないかなと思います。
なんだかエモい感じになってきたから体験記はここまで。皆、股ずれには気をつけろよ!!!以上!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?