見出し画像

最後の会食

 仕事の都合で名古屋へ引っ越すことになって、各方面へ連絡先したら、大江さんが引っ越す前に一度飯を食おうと云ってくれた。
 大江さんは大学の音楽サークルの先輩である。入学してすぐに別の先輩から声を掛けられて、音楽サークルに入ることは決めていたので説明を聞きに行ったら、そこにいたのが大江さんであった。
 何だか神経質そうな風貌が自分と似ていると思ったら、岡山の人だと聞いてさらに親近感が湧いた。自分は広島だから、他の先輩が「何か共通の方言とかないの?」と話を振ってきた。そんなことを云われたってわからないので、曖昧にごまかした。

 大江さんはギターが随分上手かった。自分もこうありたいと、それなりに頑張ったが足元にも及ばなかった。
 大江さんは周囲に何かと気を遣う人でもあった。例えば喫茶店で席を立つ前に、出したゴミをおしぼりのビニール袋へ入れておく。そういう人だからか、サークルに限らず方々で人から好かれているようだった。こちらも真似をしたけれど、別段誰に好かれた覚えはない。
 元々衣服のセンスが近く、自分が髪型も真似したものだから後ろ姿で時折間違えられた。
 住んでいる所が近かったから、度々電車で出くわした。自分が喫茶店に通うようになったのも、そうして出くわしたついでに行きつけの店へ案内されたのが始まりだったように思う。
 大江さんは偏屈なところもあって、「俺はよほど上手いバンドのライブしか観に行かない」と何かにつけて言っていた。それで自分もライブハウスデビューの時に呼ばずにいたのだけれど、「百、チケットあるか」と云って観に来てくれた。あの時は随分嬉しかった。
 色んな縁があって、大勢いた先輩の中で一番お世話になった人なのは間違いない。

 当日、大江さんは女性と一緒に現れた。
「実は結婚することになったので、紹介しておこうと思ったのさ」
 お相手の女性が何と云う名前だったかはもう忘れたが、大江さんと自分が話している横で紙切れに何かを包んで「改源」と書いたのを覚えている。改源とはなかなかのセンスだと密かに感心した。それと、「ケイコさんが死んだんです」と言うから友達の話かと思ったらペットのカエルだったことも覚えている。

 大江さんに、名古屋で落ち着いてから何度かメールを送った。手紙も書いたと思う。
 ところがどちらも一向返信がない。三度ばかり梨の礫を繰り返して、もう諦めていたら、ある時メールが来た。
 メールは数人に宛てられており、パソコンがウイルスに感染したようだから、向後メールで何か届いても無視してくれという内容だった。
 自分はそれへ、承知した旨とこちらの近況などを書き綴って返信したけれど、やっぱり何も返って来なかった。届いても無視しろというメールに返信するのはおかしなことだったと今になって思うけれど、その時には気付かなかったのでしようがない。
 梨の礫は、何か自分の云ったことが変な風に伝わって誤解をされたか、或は学生時代の調子で無茶なお願いをして愛想を尽かされたのかも知れない。どちらも思い当たる節がなくもないけれど、もう連絡先もわからなくなったので、このままでいいだろうと思う。
 それに、大江さんは方々へ気を遣い過ぎだったろうとも思う。

いいなと思ったら応援しよう!

百裕(ひゃく・ひろし)
よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。