見出し画像

修羅珈琲

 所用でQ市に行ったら、突然町内放送が流れた。
「緊急連絡です。ご通行中のみなさんは至急近くの建物へお入りください。ご自身の家でなくても構いません。至急、近くの建物の中へお入りください」
 放送は何だか間延びした調子だけれど、一緒にサイレンも鳴り始めた。どうも尋常ではないらしい。道の両脇に五メートル間隔で並んだ回転灯が全部ピカピカ光っている。この回転灯は何なのか前々から気になっていたけれど、こういう時に使うものかと得心した。
 近くの建物と云われても、入れるような店や施設は見当たらない。どうしたものかと思ったら、目の前の立派な屋敷から着物姿のおかみさんが顔を出し、びっくりしたような顔で「どうぞ!」と手招きした。

 家の中には随分人がいた。みんなこの放送で入って来たらしい。
「ありがとうございます。何が起きてるんですか?」
「ご存知ないんですか?」
「はぁ」
「あの……」とおかみさんが言いかけた途端、外で何だかバリバリ大きな音がした。
「来た!」と、周りの人が口々に言う。
「何が来たって云うんです?」
 誰も答えない。みんな深刻な顔をして押し黙っている。
 窓から覗いて見たが、あいにく庭の向うに塀があるばかりで、外の様子がわからない。ただ、何だか争うような声と、原付バイクのような音と、「うわぁ」とか「きゃぁ」といった悲鳴が聞こえた。
「ちょっと!」おかみさんが自分を押し退けて窓を閉めた。「殺されますよ!」
「あっちの部屋へいてください!」とおかみさんが指した部屋へ入ると、そこは仏間だった。
 立派な仏壇が置いてある。部屋には既に婆さんとその息子夫婦、中学生ぐらいの男子二人がいた。やっぱりこの家の人ではなさそうだ。全員が険しい顔で黙っている。
「あの、すみません、今何が……」
 声を掛けたら婆さんが「しゃっ!」と言った。息子と嫁が随分睨んでくる。
 その時、玄関でものすごい音がした。仏間を出て廊下の角から覗いたら、ガスマスクを着けてチェーンソーを持った者が三人ばかり、玄関の引き戸を壊して入って来る。
 咄嗟に手近な部屋へ滑り込むと、近所の奥さん風の女性が三人隠れていた。みんな黙って目をいからせている。やっぱり声を出すと怒られそうだから、こちらも同じように黙って、目をみはっておいた。
 じきに仏間の方からチェーンソーの爆音と物凄い悲鳴と怒号が聞こえた。あの家族が殺されたのだろう。
 自分はそれで、何が起こっているのかようやくわかった。いつかこうなることは、もう随分昔からわかっていたけれど、本当になるといよいよ嫌な心持ちがした。全体、家の方は大丈夫だろうかと、家族が心配になった。
「そろそろかねぇ……」と、奥さんの一人が言った。
「そろそろだわ」と他が応じる。
「そろそろですか?」と自分も訊いてみた。
「そろそろだわ」とやっぱりみんな頷いた。
 そろそろだったらいいのだろう。
 それからおかみさんに礼を言って、コンビニで珈琲とブラックサンダーを買って帰った。


いいなと思ったら応援しよう!

百裕(ひゃく・ひろし)
よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。