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文具と主張

 十九の頃に住んでいた学生寮で、時折大音量の音楽が聴こえた。流れてくるのは大体ハードロックやヘヴィメタルだった。
 ああいう場所では、方々から集まって来た若者らが、俺はこうだ、こういう者だと主張し合う。好きな音楽を大音量で流すのも、その一環だったろう。俺はこういうのが好きなんだ、どうだ、凄いだろうと、別段凄くもないことを喚き散らすのと同じだから、周りには甚だ迷惑である。それで誰某が誰某の部屋へ怒鳴り込んだというような話も、たまに聞いた。

 ある時部屋にいたら、レッド・ツェッペリンの『天国への怪談』が流れて来た。どこから聴こえるのか判然しないが、一緒にベースを弾いているようでもある。
 それで自分もギターをアンプに繋ぎ、大音量で合わせて弾いた。
 曲が終わるとどこかの部屋から拍手が聞こえた。
 曲もベースも拍手も、どこから聴こえたかついに知らないままである。

 例えば車にE.YAZAWAのシールを貼る人も、METALLICAのTシャツを着る人も、これが好きだと主張してそういう者だと認識してほしいのだろう。貴族ブランドのバッグを持ち歩いたり、寿司柄の衣服を身に着けるのも、きっと同じことである。

 名古屋に移って最初に住んだ場所は、近くに二階建ての立派な書店があった。
 その店は一階が一般書と雑誌、二階がマンガと文具の売場になっていた。自分は大抵一階で文庫や雑誌を買うばかりだったけれど、ある時たまたま二階で文具を眺めていたら、どうも自分は文具好きらしいと気がついた。
「自分はこういう者だ」を車や腕時計でやるのは随分金がかかる。衣類でやると流行だのセンスだのと面倒くさい。ところが文具でやる分には金もかからず、面倒なこともあんまりない。それ以来、暇さえあれば文具店へ行って、面白い物はないかと物色した。
 副次的な効果として、新しい筆記具やノートを買うと仕事のモチベーションも上がった。その時分には大体毎週嫌なことがあったから、文具でチャラにしていたのだと思う。今はほとんど買わなくなった。

 文具に拘っていると、たまに話のネタに使えることがある。
 先日来社したウェブ屋さんは、LAMYサファリの万年筆を使っていた。自分も同じのを持っていると云おうとしたが、相手の口が臭くて甚だ不快だったからやっぱり止した。あれは尋常な臭さではなかった。きっと死んだ鼠でも仕込んでいたのに相違ない。
 その人が帰った後で不安になって、しっかり歯を磨いた。

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百裕(ひゃく・ひろし)
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