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存在しない書斎の記憶

 年末に帰省して、母と古い写真を見ながら祖父宅の間取りの話になった。
「ちょっと描いてあげよう」
 母は手近な紙に間取り図を描き出した。
 祖父の家は元々古い日本家屋だったが、自分が小一の時に現代的な家に建て替えた。
 古い家は、自分の記憶では玄関の左側に祖父の書斎があって、小学校に上がる前にそこでかまぼこ型ルーペをもらっている。
「こうして字の上に置いたら大きく見えるんだ。こうやって、真っ直ぐな線を引くのにも使えるんだぞ。一本あげよう」と言って渡されたのを確かに覚えている――もらったルーペは一向使うことがなかったけれど、奇跡的にずっと失くさず持っていて、今は目が相応の年齢になったからちょいちょい使っている――。
 ところが、母の間取り図にはその書斎がない。

「祖父さんの書斎は?」
「そんなのはなかったよ。お祖父ちゃんはいつもここの部屋にいたもの」
 母が指すのは広間である。
「そんな所に机は置けんじゃろ?」
「机なんかなかったよぉね」
「そんなバカな話はない。ほいじゃぁ、このかまぼこルーペはどこから出て来たんね?」
 自分はペンケースからかまぼこルーペを出して見せた。
「もらったのはもらったんでしょう。でも玄関の左に部屋はないし、お祖父ちゃんの机っていうのもなかったよ」
「そんな筈はない。叔母さんに電話で訊いてみんさいよ」
 それでとうとう母が叔母に電話をした。

「もしもし、裕がねぇ、昔の家の玄関から見て左側にお父さんの書斎があったなんて云うのよ? 玄関の左に部屋なんかなかったよねぇ?」
「新しい方の家と混同してるんじゃない? 古い家は、玄関の左に部屋はなかったわよ」
「そうでしょう?」
「そうよ」
「やっぱりねぇ」
 老姉妹はそうして二人で納得しているけれど、自分は確かにあのかまぼこルーペを、祖父の書斎で、机の抽斗から出して手渡されたので、どうにも得心がいかない。
 けれども具合の悪いことに、書斎以外は母の間取り図が自分の記憶と合致するのである。つまり書斎があったら間取りの帳尻が合わなくなるので、それを云うといよいよ分が悪いから云わずにおいた。
 


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百裕(ひゃく・ひろし)
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