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記憶とカレー

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カレーに関する記憶のまとめ。
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#フードエッセイ

男前と、知らない人

 独り暮らしにすっかり慣れた頃、テレビで吉田栄作が水を使わずにカレーを作ると話していた。水でなく牛乳を使うのだそうだ。  自分は別段栄作ファンではないけれど、男前がそう云うのだったらきっと美味いのだろうと考えた。そうして試してみることに決めた。  あいにく牛乳を切らしていたから、近くのスーパーで買って来た。ついでに樹氷という酒も買って来たが、それはオレンジジュースで割って飲むつもりだったのでカレーに関係ない。  どういうものが出来上がるのか見当がつかないまま牛乳でグツグツや

風呂と、こだわりカレー

 学生寮では休日に風呂を沸かしてくれなかったから、日曜祝日は夕方になると銭湯へ行った。  日曜の夕方はちびまる子ちゃんとサザエさんを観ながらのんびりしたかったが、この時間に風呂へ行っておかなければ、後になると億劫だし風呂屋もスーパー銭湯ではなく普通の風呂屋なのでそう遅くまでやっていない。だからいつも心を鬼にして、夕方に銭湯へ行った。  大体、早めに行って帰った後でサザエさんを観るか、あるいはちびまる子ちゃんを観てから行くかのどちらかで、自分はあんまり早く風呂に入ると落ち着かな

依代、人生の伏線

 昔テレビで流れていたオリエンタルマースカレーのCMで、最後に「ハヤシもあるでよぉ」と言うのが何だか面白く、「〜でよぉ」が幼稚園で流行った。広島の幼稚園で、みんな、名古屋弁と知らないまま真似をしていた。  最初に使い出したのは為末君だったと思う。ゴレンジャーごっこか何かをしていて、「まだ(悪者が)おったでよぉ!」と言ったのである。  それの何が面白いのだか、今はまるでわからないけれど、その時には随分可笑しくて、全員転げ回ってゲラゲラ笑った。涎を垂らして笑う者までいたように思う

裏路地、薄暗い店、昭和の刑事ドラマ

 昔、もうじき大学受験という頃に母が、今日は塾の帰りにどこかでご飯を食べて帰って来なさいとお金をくれたことがあった。  塾は広島駅前だったから、食べる店は周辺にいくらもある。どこにしようかと思っていたらカレー屋の看板が目に入った。  この看板は前々から見ているが、店がどこにあるのかわからない。この際それを突き止めてやろうと決めて看板の示す通りに進んだら狭い路地の奥にあった。これではわからないはずだ。 『笑ゥせぇるすまん』に出てきそうな感じの店で、高校生が一人で入るにはちょっ

土曜日のカレー、新喜劇からの惨劇

 28の時、パスタ屋の店長を辞めて人材派遣屋の営業職に就いた。  最初に配属された営業所は大阪の北の方で、駅前のビルに入っていた。ビルの1階に飲食店がいくつかあったから配属後しばらくはそこで昼ごはんを食べていた。  1階にはカレー屋とうどん屋と洋食屋があって、カレー屋に入ったら、店を出る時はいつも上司のヒル氏が汗だくだったのを覚えている。 「俺、辛いもの食うとこうなるんだよ」と言われて、別段興味もないから「大変ですね」と言っておいた。 ※  基本は土日祝休みだったが、応募