ピットインにて独りごつ(逆噴射小説大賞2024二次選考突破に寄せて)。
RTGです。いつも大変お世話になっております。
みなさまお待ちかね、逆噴射小説大賞2024の二次選考結果が発表されました。
昨年に続き、今年も応募上限は一人につき2発まで。
自分も2発撃ちました。結果はこちら。
一発目:クラヴマンの祈り→二次選考落選。
二発目:泥とプラチナ→二次選考突破。
結果:一発命中。
今年もどうにか最終選考ステージへのピットインが果たせました。ちなみに、今年の二次選考突破作は339本中の108本。だいたい1/3程度ですね。
一本目が落ちたのは残念ですが、もう一本が生き残っただけでもありがたいことです。何せ二次突破確実と目されていた作品すら落ちている、そういう中での一本通過ですから。
どの作品とは言いませんが、他人事にも拘らず非常にショックでした。例年のこととはいえつらい。そういった作品の分までがんばりたいものです。
それはそうと、今年はめちゃくちゃお褒めの言葉を頂戴しました。一人ひとりの「良かった」「面白かった」という生の声はそれ自体が誇りですし、信頼に足る指標です。PRACTICEを続ける上でのコンパスやバロメーターとして大事にしていきます。多謝。
あとはライナーノーツの補足を書きます。16000字書いたライナーノーツの補足って何だよ。
一作目:クラヴマンの祈り
先述のとおり落選しました。理由として考えられるのは「設定開示にとどまっている」「厳しい文体を扱うには筆力不足」「単純にパワー不足(問答無用で続きを読ませたくなる力が足りない)」辺りでしょうか。
もっと根本的な話をすると、800字制限に対して書くネタが大きすぎたなと思います。一族の年代記とか神と人との戦いとか、そういう重厚長大なネタの旨味を冒頭800字で伝えるのは最初っから無理ゲーなんやなと。それでも無理くり800字にアジャストしようとした結果、上記のようなアラが浮き出てきたのではないかと思われます。
あ、反省はしていますが自虐的な気持ちは全然ありません。あくまで賞レースに合っていなかったなという程度の話です。
何なら本作、未だにお気に入りだし面白いと思っています。刺さる人には二本目以上に刺さってくれていたようですし、応募作全体で見てもかなりの高評価をいただいています。本当にうれしいしありがたい。
あと何よりうれしかったのはこれですね。ビュー数とスキ数の比率。ちょっとダッシュボードのスクショを貼ります(R6.12.21時点)。
ビュー数の上から表示。この時点だと『クラヴマン』は影も形もありません。
スキ数の上から表示。第5位にランクイン。何なら昨年最終選考作『セイント』の半分のビュー数でほぼ同等のスキを頂いている。
『泥とプラチナ』の影に隠れた感があるけど、こっちもけっこう良いと思うんだよなあ。食ってみたら美味いって言われるはずなんだよなあ。そんな感覚を裏付けるデータが現れて大いに満足しています。
そういうわけで、未読の方はよろしければ御一読を。たぶん美味いです。
以下余談。
ライナーノーツでも触れたとおり、本作は『Chicken In The Corn』という曲に着想を得たものです。構成固めや執筆の最中はずーーーーっとこればっかリピート再生してました。
そしたらこうなりました。
上位0.5%リスナーとのこと。もはや推し活では??????
二作目:泥とプラチナ
こちらはいくつか補足します。
①タイトルの意味
②ラストの締め方の是非
③スリ行為を題材にした商業作品
④『半竹』の意味
以上4点について。
①タイトルの意味
これはちょっとだけ多層的です。
ユキオと老人、スリ師二人の技巧の対比。成功すれば『プラチナ』の如き戦果が得られるが、失敗すれば『泥』のように汚らしく無残な結果に終わるという落差。『泥』棒という下衆な行いであるものの、そこで披露される技巧と矜持は『プラチナ』めいて輝いている、等々。
技巧の対比はともかく、それ以上の要素まで読み解けというつもりはありませんでした。こんなん作者の自己満足ですし。それでもTwitterやピックアップ記事でその辺りに言及いただいたのはありがたかったですねえ。みなさん読解力高杉。
勝手に引用してすいませんが、これらの感想は特に嬉しいものでした。
タイトルに結びついているかを問わず、最も言いたかったことを汲んでいただけたのはありがたい。感謝致します。
あとそもそもの話をすると、これは作品とタイトルが別々に存在していました。
当初のタイトル案は『半人前のモサ』というものです。詐欺ならペテン、強盗ならタタキという具合に、掏摸にも『モサ』という別称が存在します。この別称を用いて掏摸と猛者のダブルミーニングを表してみたかったのです。
ですが、断念しました。だって掏摸=モサなんてほとんどの人が知らないし。あとこのタイトルだと全然迫力が足りない。最初に読者が目にする箇所である以上、いきなりブスリと刺しに行くくらいの凄みがないとダメ。
一方、本作とは離れたところで考えていたのが、『プラチナ』という単語をタイトルに用いることでした。プラチナって字面も響きもカッコいいからタイトルで使ってみたいなあ。でも単語をそのままタイトルにするのは昨年の『セイント』でやったから、今回はもう少しヒネりを加えたいなあと。
そういうわけで『泥とプラチナ』と銘打ちました。貴金属のプラチナと対になる無価値で汚れたものを配置することで、何かしらの凄みを醸し出せればいいなと。そういう具合に出来上がったタイトルを、前々から考えていたスリの話とジョイントさせた次第です。
月とスッポンの言い換えじみたタイトルですが、個人的にはこれまでの全応募作中でも随一のお気に入りです。タイトルを考えるときは毎回「書店にそのまま並べられるか」を意識していますが、これは自信を持って並べられそうです。根本的なセンスの良し悪しは不明ですが。
②ラストの締め方の是非
これは逆噴射小説大賞特有の話になります。具体的には、逆噴射界隈でよく話題に登る「オチている」「オチていない」の判断について。
完全な私見につき鵜呑みにしないでほしいのですが、【続く】を【終わり】に置き換えても成立するか否かが分かりやすい判断基準だと思っています。おおよそは冒頭の体裁を保っているけど、これ自体で一つの掌編として読める余地はあるよね、という感じ。その「一つの掌編として読める余地」を無くすことが「オチている」判定の回避につながるのかなあと。
その見方に照らすと、『泥とプラチナ』はまあ〜アウトな匂いがするなと。以下、検証のため同作のラストを引用します。
半グレから財布を盗った凄腕のスリ師、しかしその財布がさらに別のスリ師に盗られた。上には上がいたのである!! 完。みたいな。
いやいやそれはないっしょ、と思ってくださる方も多いかと思われます。ただ自分の中では、どうしても拭いきれないんですよね。【続く】を【終わり】にしても物語として成立しているという感触が。
実はこの辺り、書き上げた当初からかなり気にしていた所でした。
本当は主人公がジジイに向かって駆け出すくらいのアクションまで入れたかったのですが、字数制限により泣く泣く断念。初稿を読ませた友人たちからは「謎のジジイとの絡みが続くことは明らかだしこれで問題ないのでは?」と言ってもらえましたが、DiscordやTwitterでこの辺りの指摘を頂戴したことで、ああ〜やっぱ懸念してた通りだったなあ〜〜と頭を抱えた次第です。
ただ同時に、この締め方は『小説の冒頭として自然なヒキ』になっているとも感じています。逆噴射の800字に特化・限定されたものでない、飽くまでも『売り物として出されている小説の書き出し』として形になっている感じがするなと。ただの自画自賛なので聞き流してもらってOKですが、Twitterやピックアップ記事でその辺を褒めていただいたあたり、あながち的外れな感触でもないのかなと思っています。
まとめると、結論はこの2点ではないでしょうか。
1が目的で2が手段、という感じですね。
1はともかく、2については異論があるかもしれません。いわゆる『展開の広がり』を狭める点で、正解とは言い切れないのではないのかと。それを踏まえても、過度に手掛かり不足だと「オチている」判定に引っかかるリスクがありそうだな、というのが現時点での自分の認識です。
以上ダラダラ述べましたが、これは飽くまでこの賞レース特有の、かなり限定的な話です。800字のフィールドに囚われず、のびのびと小説執筆それ自体の力を伸ばす方が今後の物書きライフにおいて有益に違いありません。
繰り返しですが鵜呑みにせず、こういう見方もあるんやな程度に捉えていただければ幸いです。そもそもすべてが的外れかもしんないし。
③スリ行為を題材にした商業作品
ライナーノーツで挙げた『天切り松 闇がたり』を除くと、自分が知る作品は以下の3つ(厳密には2つ)です。
・中村文則『掏摸(スリ)』
・原田宗典『平成トム・ソーヤー』
・原作:原田宗典 作画:井田ヒロト『戦線スパイクヒルズ』
中村文則の『掏摸(スリ)』は未読ですが、あとの2作は学生の頃に読んでいました。『平成トム・ソーヤー』が小説、『戦線スパイクヒルズ』は同作のコミカライズです。時代設定は90年代初頭と古めですが、その辺を差し引いてもめっちゃ面白い。パルプ好きなら読んで損はありません。
そんだけ面白い作品にも拘らず、完全に存在を失念していました。『泥とプラチナ』を書き上げてしばらく経ってから存在を思い出したので、『平成トム・ソーヤー』をAmazonでポチって再読した次第です。もちろんネタ被り(スリの設定がパクリの域で被っていないか)をチェックするために。
自作の設定である「標的と自己の存在をシンクロさせることで相手に気づかれなくする」点は被っていなかったのでそこは良し。ただ予想外だったのは、自作の舞台である『職安通りの交差点』が登場したこと。あまつさえ、主人公の高校生スリ師がその交差点でスリに及んでいる。
これは流石にひっくり返りましたねえ。まさかそこで被るかと。これだけ見たらパクリの誹りを受ける可能性もあるんちゃうかと。もっと別の場所を舞台に据えるべきだったと思いましたが後の祭り、忸怩たる思いを抱えながら今に至ります。
結局言いたいのは「パクっていません」という浅ましい言い訳なのですが、この辺が賞レースにどう影響するかはわかりません。
そもそも気にすべきはそういう局所的な話でなく、スリを題材にした先行作品全般と比較して戦える(=売り物として出せる)のか、というところでしょうし。審査員はかなりのジャンルを網羅しているので、おそらく本作もその視点で見られることと思います。
こうして書いてみると、つくづく己のオリジナリティ不足を痛感しますね。「誰も見たことがないものを生み出す」という、小説書きとしての資質に欠けている気がしてなりません。今回の賞レースでその辺がどう評価されるかが個人的には見所です。
④『半竹』の意味
ラストの老人のセリフに出てきたこの単語。そこかしこで「どういう意味だ?」という趣旨の感想が見受けられたので少し説明します。
上記の通り東京の方言なのですが、自分はずっと標準語(あるいはアウトローの符牒)だと思っていました。小学生の頃に読んでいた麻雀マンガ『哲也』で何回も出てきた単語であること、中学生で読み始めた浅田次郎がやはり幾度となく用いていたことから、あー普通に使われてる言葉なんやと思い込んでいたんですね。
流石に『泥とプラチナ』を書く際には調べましたが、そこで初めて東京の方言と知ってへえーっと驚いたものです。てっきりガラの悪い『半人前』の呼び方だと思ってた。東京人に謝れ。
なお『半竹』という漢字表記は浅田次郎が用いていた表現です。日本語表記として正確かは不明ですが、『はんちく』や『半チク』より『半竹』の方が凄みがあるのでこちらを採用しました。まちがっていたらしかたがない。
友人たちにこの言葉の意味が判るか尋ねたところ、中途半端とか半人前とかのニュアンスは伝わると言ってもらえたので良しとしました。ついでに東京の方言なら、これで舞台が東京だと暗に示せるなという打算も込みで。
東京であることを示す打算は気づいてくれればめっけもん、気づかれなくても別にいいやと思っていたのですが、ピックアップ記事でズバリ言及されてる方がいてめちゃくちゃビビりました。勝手ながら該当箇所を抜粋します。
マジかあー、よくそこに気づかれたなあーと。驚きつつも嬉しかったですねえ。誠にありがとうございます。
例によって長くなりました。そろそろここらでシメようと思います。
自分で言うのは憚られることですが、今回の賞レースでは『泥とプラチナ』が優勝候補の一つと目されているようです。
小説執筆経験はないし自分のことなんて誰も知らない、それでもパルプスリンガー(パルプ小説の書き手)の仲間入りをしたい。めちゃくちゃすごくて面白い書き手の人たちと仲良くなりたい。
その一心で参戦してから早4年目、随分と遠いところに来たような気がします。
ですが、まだ途中です。
まだ、何も決まっていません。
下駄を履くまで、フタを開けるまで勝敗はわかりません。
これまで多くの方に激賞いただいた『泥とプラチナ』ですが、それでも大賞はおろか最終選考に残らないことだってあり得ます。どのコンテストでもそうですが、プロである審査員の目はあまりにも広すぎるし深すぎる。良きにつけ悪しきにつけ、何がどう評価されるかは誰にも読めないのです。
だからこそ、自分はいつも
「楽しんでもらいたい」
「面白く読んでもらいたい」
という姿勢を軸に書き続けてきました。決して綺麗事ではありません。それが自分の扱える物差し、賞レースを勝ち抜く上で唯一使いこなせる判断基準だったからそうしてきたのです。
もちろん、自分の姿勢や思いなど、審査員からすれば知ったことではありません。
でもそれで良いんです。無慈悲に明暗が分かたれるからこそ勝負は面白い。
だからこそ、自分の姿勢が最後まで通用するのか恐ろしくも楽しみでなりません。
29日の夜10時から、主催者のダイハードテイルズによるDiscordラジオで大賞受賞作が発表されます。そこが我々の最終局です。
長文にお付き合いいただき誠にありがとうございました。あとは29日、オーラスの場でお会いできればと思います。
我が身の、そしてスリンガー諸兄の武運長久を祈ります。敬具。