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猪メモリーズⅠ~うりぼうに出くわした結果、俺は和製エクソシストになった~


”Ⅰ”と銘打ったとおり、最低でもⅡまではある。

別段イノシシに愛着があるわけでもないが、ネタとしてパッと頭に浮かんだのがこいつだったから仕方ない。

思い出したから、書いてみることにする。


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中学2年生の秋だったと思う。

テニスの部活を終えた俺は、愛用のボロいラケットを背負い、これまた愛用のボロいママチャリにまたがって、チンタラチンタラと家路に向かっていた。

部活の同級生たちとくっちゃべりながら帰路を同じくしていたが、俺の家は同級生の中でもひときわ離れた集落の、さらに人里離れた一軒家だ。

1人、また1人と家路をともにする同級生の数は減っていき、とうとう俺1人になった。

もう少ししたら刈り入れが始まる、よく実った稲穂が一分の隙もなく立ち並ぶ田圃(たんぼ)。 
何が楽しいのか、そこいらを音もなく飛び交う赤とんぼの群れ。
一日おきに早くなる、冬に近づいていることを知らせる夕暮れ。


いつもと変わらない、たった1人の、最後の帰り道だった。



田園地帯を抜けて、最後の山肌沿いの道に差し掛かった頃。


10mほど離れた右向かいの茂みがガサガサと音を立てたかと思うと、


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出た。 


こいつが。


瓜坊(うりぼう)である。


3匹ばかりのうりぼうが、とっとことっとこと茂みから茂みへと駆けていく。 
そのうち1匹は、立ち止まってつぶらな瞳でこっちを見つめている。 


かわいい。 


フサフサコロコロとしたそのフォルムは、まるで生きたぬいぐるみだ。

あえて擬音をつけるなら、「きゃるんっ」という風情だ。 

つぶらな瞳がいかにも「きゃるんっ」て感じだ。 

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だが、俺の目には、そいつらが死神にしか見えていなかった。



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言うまでもないことだが、野生動物の常として、仔のそばには親がいる。

そして、仔を連れた親の行動原理は、当然”仔を守ること”。
その中には、”外敵の排除”も含まれている。

これが仔連れでない単独ならば、相手もこちらに怯えて”逃走”に走る可能性はある。

だが、仔連れの親ならば、異物を見るやいなや、外敵排除の脳内スイッチがバチーンと入る可能性は高いのではないか。

ましてや、今の季節は秋。

冬ごもりのため、食えるものはなんでも食って力を蓄えなければならない時期だ。

仔を守らんとする親の本能、そこに飢えも加われば危険度は倍プッシュだろう。

ところで、当時の俺は、イノシシの成獣をそれまでにも何度か目の当たりにしていた。

ブラシのような灰色の剛毛に身を包み、真っ白な脂肪層の下には高密度の筋肉をみっしりと搭載した、マッスルパゥアー全開のクリーチャーだ。

固められた地盤を難なく掘り返し、猟犬の腹だってやすやすと抉(えぐ)る、ごっつい牙も忘れちゃいけない。

最近では、同じ集落の源じいさん(仮名)の軽トラが、イノシシとぶつかって横転したとかしないとかの噂を耳にした。

真偽は知らんが、ヤツらのマッスルパゥアーをもってすれば全然ありうる話だ。

要するに。


きゃるんっとした風情のうりぼうに釣られて
 「キャーカワイー」 
などとほざきながら近寄っていこうものなら、近くに控えているであろう親にマッスルパゥアー全開でぼてくり回されるのは必定(ひつじょう)ということだ。

何なら、こっちにその気がなくても、こちらを視界に収めた瞬間に、外敵排除スイッチがバチーンと入って猪突猛進してくる可能性だって否定できない。

例えではない。正真正銘、マジモンの猪突猛進だ。

軽トラだってふっ飛ばしかねない、灰色の肉の砲弾だ。

少なくとも、特別な訓練も受けていないそこらの中学生男子1匹が、どうこうできる代物じゃあないことだけは確実だ。




うりぼう達に遅れて、もう一度右向かいの茂みがガサついた。

その瞬間、俺は自分でも信じられない反応速度で車体を持ち上げ180°転回させ、サドルにまたがった。

後ろを振り返っている余裕はない。

親イノシシをこの目に収めようという好奇心など毛頭ない。

真偽の確認など不要だ。

今、あそこには、親イノシシがいる。

そう断定して動け。

そうしなければ命が危うい。

脳内のレッドアラートが命ずるまま、俺はもと来た道を爆速で引き返した。


過疎の集落のなかでも比較的家々の立ち並ぶエリアまで来ると、その中の見知った家を訪ね、しどろもどろになりながらも、家のおばさんに必死に事情を説明する。

事情を聞いたおばさんは、快く俺を我が家まで車で送り届けてくれた。

自転車は、一旦おばさん宅に預け、翌朝回収させてもらい、そのまま通学する運びとなった。 





さて、問題はこの後だ。

これから冬に入るまで、あのイノシシの脅威は続く。それにどう対処すればいいか。

真っ先に思いついたのは、冬までの間、親の車で学校まで送り迎えをしてもらうことだった。 

だが、これはすぐさまボツになった。

俺の両親は共働きで、行きはまだしも、帰りの迎えがどうしても遅い時間帯になってしまう。 日々のガソリン代だってバカにはなるまい。

第一、いちいち親に送り迎えをしてもらう光景を同級生に見られるのは、思春期の男子としては恥以外の何物でもなかった。

できることなら、始終爆竹を鳴らしながら帰りたいとも本気で考えた。

当然、そんなチャリンコ春節野郎になる度胸もなければ、爆竹を買い込む財力もない。





手詰まりか。






そう思った次の瞬間、俺の脳裏に閃光が走った。







(俺はなぜ、爆竹に目をつけた?)






だ。

騒音だ。

デカい音を立てて、イノシシをあらかじめ怯えさせて近づけさせないようにする。

そのための爆竹だ。

音が出るなら、何も爆竹でなくたっていい。

そう。音なら、自分で出せばいいのだ。

しかも、帰り道の最初から最後まで、というわけじゃない。

家まで最後の1km足らず、いや、イノシシの出現ポイントから考えると、せいぜい2~300m程度のエリアで事足りるはずだ。

おまけに、我が家は集落でも最も人里離れたエリア内にある。
多少の騒音を出しても、ご近所の迷惑になったり、好奇の視線にさらされる心配も少ない。

ならば、勝機はある。

その2~300mの間に全力を出せばいい。


では、どうやって音を出す?

俺が下校途中に使えるサウンド出力ツールといえば、チャリンコに備えつけられた金属製のベル。

そして何より、声だ。

ベルがサブウェポン、声がメインウェポン。

特にメインウェポンの声は応用が効きそうだ。こいつをどう使うか。

叫びっぱなしというのは間が抜けている。それに喉を痛めそうだ。

サブのベルも組み合わせるとなると、歌か。

ベルをリズミカルに鳴らしながら、大声で歌うというのはどうか。

いや、歌ではまだ弱い。

なんというか、こう、外敵を打ち払う要素が欲しい。

己に害為すモノを近づけさせまい、という意志を込めたい。

そう、言うなれば、魔除けだ。




魔除け。





……魔除け?





…………





……………………










読経(どきょう)だ。








俺は次の日、さっそく腹案を実行に移した。

例の出現ポイント付近に差し掛かったあたりで、自転車のベルを鳴らし始める。

甲高いベルの金属音が、小気味よいビートを刻み出す。

一息吸い込み、リズミカルなビートに合わせ、経文(きょうもん)を張り叫んだ。






「ナンミョーホーレンゲッキョ!!!ナンミョーホーレンゲッキョ!!!ハンニャーハラミッタ!!!!」






こうして、悪霊退散には目もくれず、ただただイノシシ退散のみを熱狂的に祈祷する、和製エクソシストがわが集落に爆誕した。





想像してほしい。

自分の向かいから、チャリンコに乗った中学生男子がやってくる。

白ヘルメットに学ランの、昔ながらの中学生だ。

しかしそいつは、鬼気迫る形相で何やら経文をデタラメに唱えている。

唱えるといっても、ブツブツ呟くという生易しいものではない。

天にも届けとの勢いで経文を張り叫び、あまつさえ金属ベルをはじいて8ビートを刻みながら、オンボロのママチャリで目下爆走中なのだ。 

こいつが何を祓(はら)おうとしているのかはわからない。

わからないが、少なくともこれだけは言える。

こいつはどう見ても祓う側ではなく、祓われる側の存在だ。

こんなアッパー系に出くわしたら、イノシシだってその異様さに道を開けるに決まっている。 

対人間ならその威力は言語に絶するだろう。

出会った日にはモーゼの如く人波は割れ、人々は腰を抜かしてその場にへたり込み、マリアナ海溝ばりの深いトラウマを刻みつけられること疑いなしの光景だ。

女子供(おんなこども)なら泣き叫ぶ。

あまりのおぞましさに、自らの目を潰す者だって現れるに決まっている。

俺ならひと目たりとも絶対に目の当たりにしたくない。俺だけど。





それからほどなくして、イノシシは猟友会に仕留められたとの情報が入ってきた。

俺が和製エクソシストだった期間は、おそらく1週間にも満たないのではないか。

もしあのまま続けていれば、いくら人里離れた土地とはいえ、イノシシの牙にかかる前に司直の手にかかる公算のほうが高かっただろう。
身体的にも社会的にも、俺は一命を取りとめたことになる。


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本当はここで終わるつもりだったのだが、書きながら、一つ気になったことがある。

これは、いわゆる黒歴史にあたるのだろうか。

一般的にはどう考えたって黒歴史だろう。
どこに出しても恥ずかしい、ツッコミどころ満載のまたとない立派な黒歴史だ。


だが、当の本人には、どうしてもそうは思えない。



少なくともあのときの俺は、本気で自分の命がかかっていると思っていた。

その状況を打破しようと、自分のあらん限りの知恵を絞った。


笑いこそすれ、恥ずべきものだとは未だに思えないのだ。


バカ丸出しだが、この上なく真剣に、自分の身を守ろうと全力を尽くした、あのときの俺を。