逆噴射小説大賞2024ライナーノーツ【後編】
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泥とプラチナ
◯二作目。掏摸の話。今年の8月末に書いた。
当初この作品を仕上げるつもりはなかったが、一作目の次に書いた作品が友人たちに不評だったため、やむなく制作に着手した経緯がある。
○本作の着想は、おれが私淑する浅田次郎先生の小説『天切り松 闇がたり』から得た。大正・昭和初期の東京が舞台のピカレスクロマンだ。なおシリーズ化しており、現在第5巻まで発刊されている。
夜盗に強盗、掏摸に詐欺。各ジャンルの超一流を揃えた義賊の一門がプロの技を駆使して世直しを図るわけだが、そのプロの技というのがまた凄い。実際にはそんなの無理だろと思える神業を、ぐうの音も出ないほどの説得力を以て描いている。
その中でも一際印象に残ったのが『息合わせ』という技法だった。家人の寝ているところに忍び込んだ夜盗が、その家の主と自分の呼吸を寸分違わず同調させる。そうすれば、その家の者は誰も起きることはない。
以下、そのくだりを抜粋する。
モノを盗む前に、まずその持ち主の呼吸を盗むという目の付け所。そして呼吸どころかその存在を丸ごと呑み込んでしまうかのような一連の描写に、おれはいたく痺れた。
◯いつか、自分もこういうシーンを描いてみたい。それもスリの技として描写したい。
文体にせよ描写にせよ、おれは緊張感のあるものが好きだ。獲物の懐中から金品を抜き取るスリ行為は、それ自体緊張感があって良さそうな題材に思える。そこに件の『息合わせ』のような描写を絡めたい。そうすることで、緊張感と凄み溢れる作品を作りたい。そう考えたのが発端だった。
◯そう思ったのはいいが、そこからが存外に難しかった。
実を言うと、この作品は昨年の大賞応募作の2発目として仕上げるつもりだった。しかし上手くまとめることができず、結局他の作品を2発目としてぶっ放している。結果としてはその作品が最終選考(=入選)にまで至ったが、自分の中では本作への未練が断ち切れていなかった。その後も何度か800字の形にしようと挑戦したが、何度やってもうまく行かず、テキストの死骸ばかりが積み重なっていった。
○今にして思うと、3つのポイントで躓いていた気がする。
1つ目は物語舞台の設定。
2つ目はスリの描写。
3つ目はストーリーの構成。この3つだ。
○まずは1つ目、物語舞台の設定について。
当初、本作は東京都心が舞台であることを冒頭で明示するつもりだった。書き出しで都心の一画を描くことで、初手の掴みとリアリティを作品に持たせる狙いだった。
最初からそう決まっているなら簡単じゃないかと言われそうだが、田舎者のおれにはむしろ難題だ。一口に『東京』と言っても、東京の何処なのかをピンポイントで特定しないと始まらない。おれは昔東京に住んでいたが、23区のような大都会の地理には明るくない。もっと都心に出向くべきだったと悔やんだが後の祭りだ。
結局、GoogleストリートビューでJR東新宿駅近辺をうろついては、目ぼしい場所が見当たらず落胆する日々を繰り返した。最終的に職安通りの大きい交差点を見つけたので、そのまま『職安通りの交差点』を物語の舞台とした。東新宿とかの地名は抜きにした形だが、いざ書いてみるとこの程度の解像度で十分だと思えた。
読んでいる側にとってはどうでもいい話だが、おれにとってはここが一番の難所だった。ここが決まらなかったために、昨年10月から今年の8月まで足踏みしたと言っても過言ではない。己の悪癖である凝り性や完璧主義が祟った一例だと思う。
○2つ目、スリの描写について。
1つ目の地名もそうだったが、おれは自作のリアリティが気になるとそれを徹底的に深追いする癖がある。ふだんは割とガバガバだが、一度気になり出すともうダメなのだ。本作の場合だと、スリ行為の何たるかを熟知しておかねば『息合わせ』のような説得力を文章に宿らせることはできない。そう思い込んでいた。
ある時は、Amazonで2000円近くする古書を買って読んだ。
積読の本が一冊増えた。
今のおれには使いこなせない代物だった。
またある時は、海外のスリ名人の動画を観た。
面白かった。ミスディレクションを追求した、FunにしてInterestingな内容だった。
だが、おれの求めていたものとはだいぶ毛色の違う話だった。これがREALと言われればそれまでだろうが、この路線ではおれが目指す凄みを出すことは出来そうにない。
ここまで来れば答えはほぼ見えている。つまり、己の想像で書くしかない。
にもかかわらず、おれは書く踏ん切りがつけられずにいた。裏付けのない想像だけで説得力あるスケッチを描く自信がなかった。それでも書き切れたのは後述する出来事のおかげだが、それがなければ正直危うかったかもしれない。
○3つ目、ストーリーの構成について。
最初に考えていた構成は以下のようなものだった。
言うまでもなく長過ぎる。こんなものを800字に収められるわけがない。
800字制限に苦しむこと自体は特別な話ではない。この大賞の参加者全員が直面することだし、おれも過去3回に渡って経験済みだ。
だが今回は、この構成のどの部分に一番旨味があるのか見極めきれていなかった。せめてそれが判れば不要な部分をバッサリ切ってそれなりの形に出来るのだが、その判別が難しい。この辺りも、筆を進ませない障壁としておれを散々苦しめた。
○転機が訪れたのは今年の8月末だった。友人二人と2泊3日の旅行へ行くことになった。
おれはnoteの記事を書いたあと、いつもこの二人に下読みを依頼している。しかも二人とも昨年の逆噴射小説大賞に参戦しており、そのうち一人は今年も参戦を表明している。何なら8月末のこの時点で応募作を4本も書き上げていた。実力や才能もさることながら、熱意がおれの比ではなかった。
○いきおい、旅行の道中では今年の大賞応募作の話題になることが多かった。友人が書いた4本のうち、どれを応募作にして残りをプラクティスとして発表するかの振り分け。そして、おれが書き上げた1作目への批評と2作目への期待。道中の話題の2〜3割はその話で占められていた。
○逆噴射の話で盛り上がる中、おれは申し訳なさを感じていた。
すでに十分な本数を書き上げた友人への引け目もある。だがそれ以上に、自分の作品を楽しみにしてくれている友人たちに、未だ2本目を見せられていない事実が申し訳なかった。LINEやZOOM越しでなく、久しぶりに面と向かい合っている今だからこそ、こいつらに新作を読ませてやりたい。こいつらに新鮮な楽しみを提供してやりたい。
レンタカーで山道を走っている時も。
綺麗な海を見ている時も。
ローカルのスーパーで買い出しをしている時も。
民宿で酒盛りをしている時も。
ずっと、そのことを考えていた。
○午前1:30、民宿の一部屋で寝ていたおれは寝床から体を起こした。両脇には友人二人が雑魚寝している。一応PCを持参していたが、キーボードをガチャガチャやってこいつらを起こすわけにはいかない。スマホを取り出してnoteの編集ページを開いた。
○ごたごた言わずに書こうと決めた。不出来でもいいからまずは800字の形にする。そして、この後も続く旅行の話題の一つにする。改稿はその後にいくらでもすればいい。
○幸い、最大の難所だった書き出しの一文はこの時点でクリアーしていた。あとは原点に立ち返って、『息合わせ』のような凄みと説得力あるスケッチを描くことに専念する。
おれが『息合わせ』から得たインスピレーションは、獲物を丸ごと呑み込むような感触だった。ならば、その過程を詳細に描写する。獲物の歩くテンポ、呼吸、表情という外形。そして内面(心境)に至るまで、順を追ってトレースする。こうすることで主人公は獲物と完全な一体化を果たす。一体化している限り獲物はこちらに気づかないが、少しでも一体化がブレれば即座に気取られる。よし、この設定で行こう。
○フリック操作でスケッチを続ける傍ら、別の課題が頭をよぎった。主人公が獲物との合一を果たしたことを、読者にも一発で伝わるように描写したい。何かうまい表現はないだろうか。
ふと、闇の中に獲物と主人公の二人だけが浮かび上がっている画が浮かんだ。黒塗りのベタを背景にキャラクター二人が相対している、漫画でよく見る構図だ。これを描けば良い。
良い感じだ。漫画でよく見るあの画を我ながら上手く表現できていると思う。邪魔者は居ない、在るのは獲物だけという構図を、これなら読者にも理解してもらえるだろう。
○スリ行為を成功させた時点で、字数は全体の1/4程度しか残されていなかった。やはり当初の構想をねじ込むのは無理だ。この残り字数で一応の形を作るしかない。主人公の盗った財布をさらに盗る老人を登場させてひとまずの幕としよう。
「その時、ユキオ(※主人公)は異変に気づいた」的な、違和感を説明する文章は入れない。字数制限もあるしそもそも野暮だ。あくまで一連の流れる行為の結果として、自分のスッた財布が消えたことを示す。その後に端的な、それでいて強烈な一文を入れる。読者に急展開を示すならこれで十分だろう。
最後は老人のセリフだ。本当はこんな感じのセリフを言わせたい。
だが当然、字数に余裕はない。もっと端的に、エッセンスだけを抽出した呟きに収めるしかない。
説明は要らない。一言で十分だ。旨味さえ伝わるのであれば。
老人の呟きとそれに続く地の文を書き、最後に【続く】の二文字を入れる。
午前3:20、夜闇の中で初稿が完成した。
ひとまずの形には成った。両脇で寝ている友人二人も、これなら面白がってくれるだろう。
スマホの画面をOFFにして、おれは寝床に戻った。
○翌朝、友人二人のLINEに記事の共有用リンクを貼った。友人たちは大層驚きつつもその場で読み、以下の感想を返してくれた。
やはり、生で聞く感想は良いものだ。面白く読んでくれたことを確認し、おれは安堵の溜息をついた。
友人たちは口を揃えて「よく旅先でこんなの書いたな」と言ってくれたが、むしろ逆だ。2泊3日の旅行の最中という時間制限が、悪癖じみた瑣末な拘りを乗り越えさせてくれた。今となってはそう思う。感謝しかない。
○後日、別の友人に本作を読んでもらった。
こいつは昨年『討手は闇に』という応募先の推敲を、実に半年近くに渡って協力してくれたやつだ。自分では文章を書かないが秀でた審美眼を持っている。本作の更なるブラッシュアップのためには、こいつの助言が欠かせないと思っていた。
果たして、以下の感想が返ってきた。
盗る瞬間の解像度を上げることについては即採用した。昨年、おれの最終選考作『セイント』に寄せられた審査委員長のコメンタリーでもその点に言及されていたからだ。ここで妥協はしたくない。主人公名の「ユキオ」を変えるかについては、少し気になったがそのままとした。
最後の指摘、情報開示の順序については迷った。おそらくだが、理論としては友人の方が正解なのだ。だが何と言うか、良くも悪くも──はっきり言えば悪い寄りで──漫画チックな描写に思える。オチの一文も逆噴射応募作でよく見かける類型だ。あくまで小説として自然な、文章の流れる感触を目指すなら、原案の方に分がある気がする。
相当悩んだが、ここは原案を採用した。この選択には友人も納得してくれている。
○そういう具合にブラッシュアップを重ね、一週間ほどで最終稿が完成した。すでに書き上げた一作目ともども開催初日の0時にぶっ放しても良かったが、何となく一拍置く感じで次の日に投下した。
○包み隠さず言うと、おれは本作を「二次選考は通ると思うが最終選考まではわからない」と評している。面白いのは確かだが、場面ジャンプもないワンシーン描写で終わっている、目を引く奇想があるわけでもなく現代性にも乏しいというのが理由だ。
それでも自分らしい作品が書けた実感はあるし、友人たちも面白いと言ってくれた。だいたい二次選考の時点で高いハードルなのだ。それをクリアできそうと思えたのならそれで十分だろう。そう思いながら投稿ボタンを押した。
○程なくして、異変に気づいた。
怒涛のような勢いでスキが押され続けている。パルプの書き手が集うDiscord『BARメヒコ』でも絶賛されている。「これは最終選考当確だろ」という声まで聞こえてくる。
舞い上がるのを通り越しておろおろと困惑するおれをよそに、方々から称賛の声が寄せられた。多いがすべて掲載する。
まずはX(Twitter)のポストから。
続いて、ピックアップ記事。
もう何というか、現実味を欠いている。称賛の数も多いがその内容が凄まじい。金銀財宝の山が自分の庭に雪崩れこむ有様を、口を半開きにして呆然と眺めているような気分だ。
○だが、呆けてばかりもいられない。ましてや臆してなどいられない。
おれは毎年「誰か一人にでも深く刺さること/一人でも多くの人に面白いと思ってもらうこと」を、賞レースで勝つことと同じく一番の目標に据えている。この記事を書いている現時点では二次選考結果すら発表されていないが、先述の目標は十二分に達成されたと言えるだろう。賞レースの行方はどうなるかわからないが、読者賞はおれのものとして勝手にもらっておく。
そういうわけで、大いに胸を張って言わせてもらう。
皆様、お楽しみいただき誠にありがとうございます。
今回お寄せいただいた大絶賛の数々は、すべて勲として心に飾らせて頂きます。
○例によって長くなり過ぎた。キリも良いのでここで区切りとする。
石を投げられそうな話だが、これだけ語り倒してもなお言い尽くせていないことがある。タイトルの意味、ラストの締め方の是非、そしてスリ行為を題材にした商業作品の存在。この3点だ。
これらについては、二次選考結果発表の際に書く。通過しようが落選しようがきっちり書くのでごあんしんください。
○今度こそ終わりにする。
1万字近くの長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。スリンガー諸兄の武運長久を祈ります。