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逆噴射小説大賞2024ライナーノーツ【前編】

 逆噴射小説大賞。
 パルプ小説の書き出し800字で争う物書き蛮族どもの祭典。今年で第7回を迎える伝統のインク・オクトーバーフェスト。

 今年もこの大賞に参戦した。おれは全7回中第4回から参戦したので、今年で4回目の参戦となる。
 途中参戦とはいえ、参戦回数だけならぼちぼちベテランの域ではある。だが、産みの苦しみは初参戦してこの方ちっとも変わらない。いつもひいひい言いながらどうにかこうにかやっている。

 今回も、応募した2作品について語る。


クラヴマンの祈り

◯一作目。農家ファンタジー。今年の7月下旬に書いた。

◯いきなり他人の話をする。
 本作に着手する1ヶ月前、友人があるテキストを送ってきた。本大賞応募作の初稿だった。

 こいつは昨年の大賞に気まぐれで応募し、応募した2作品とも最終選考(=入選)まで至った男だ。しかも小説どころか文芸の経験自体ほぼ無い。おれも一応初参戦時、それと昨年度に最終選考に残っているが、才能で言えばこいつの方こそ圧倒的だと思う。
 そんな奴が書いたならさぞ面白いに違いない。そう思いながらテキストを開いたところ、果たしてべらぼうに面白かった。感想とアドバイスを求められたのでそれらしいことを述べつつも、内心ではハンカチを噛みしめながら嫉妬していた。
 負けてらんねえ、よしじゃあ俺も。そうやって素直に奮起できるなら苦労はない。はーやっぱ才能のある奴は違うわと精神的不貞寝を決めこんでいた。何たる雑魚メンタル。だが事実だから仕方ない。

○そういう訳で、おれはだらだらとYOUTUBEで動画を観ていた。レトロゲームのゆっくり実況とかにうつつを抜かす日々を送っていた。
 そんな折、見慣れない動画がオススメに上がってきた。『Chicken In The Corn』という歌らしい。

 なんだかどえらい再生数だ。6000万回も再生されている。
 おれは数をあまり気にしない方だが、数千万単位ともなると流石に興味をそそられる。動画を再生してみた。

◯度肝を抜かれた。
 一本しか弦を張っていないボロボロのギター。そいつを爪弾きながらギターのボディを叩き、錆びた声でカントリーブルースを熱唱する画面の中の男に、おれは釘付けになった。一本の弦の奏でる音は肥えた土の匂いを想起させ、自発的に合いの手を入れるオーディエンスは民衆のほがらかなつよさを感じさせた。
 音楽は最高。では歌詞はどうだ。検索して和訳を読む。

Chicken in the corn
Say the corn can′t grow, mamma
(ママ、トウモロコシ畑にニワトリを放っちゃダメだ。トウモロコシが育たない)

出典:   Chicken In The Corn/Brushy one string

 当たり前のことしか言っていない。だがそれがかえって良い。農家の苦労を飾ることなく素朴に歌っている感じがする。
 動画をリピート再生で垂れ流しにしながら、久々におれは快い感情で満たされていた。激しい喜びとは別種の、汲めども尽きぬ静かで豊かな感情だ。

 不意に、文章の切れ端が頭に湧き出た。

父祖から伝わる1エーカーのトウキビ畑こそが、○○(主人公名)の総てだった。

 すかさずスマホに書き留める。
 そのまま、これで一本書くことにした。


◯ストーリーや設定は浮かんでいない。その代わり、主人公がどういう奴なのかはおおよそイメージが出来ていた。
 ボギー・クラヴマン。先祖代々のトウキビ畑を静かに、そしておごそかな祈りを籠めて耕す老農夫。無学で弁も立たないが、己の使命を愚直に、確実に全うする男。これは先年102歳で往生した、おれの爺様がモデルになっている。
 なお、ネーミングに深い意味はない。響きの良さだけで名付けた。物語舞台の地名である『ラスバ』も同様だ。おれの命名はこういうパターンが多い。

○先刻『先祖代々の畑』と言ったが、なぜクラヴマンの始祖は畑を拓き、その後末代のボギーに至るまで連綿と畑を守り続けたのか。
 いかようにでも理由付けはできるだろうが、おれは「故郷の民を護るため」とした。おれが件の『Chicken In The Corn』から受けた印象は泥臭さ、そして根源的なタフさやポジティブさだ。おれにはそれがとても眩しく崇高なものに思えた。そういう崇高さを表現するには、自利より利他の精神を主人公の行動原理に据えるのがふさわしいと思った。
 飢えに苦しむ民のため、裸一貫で罅割れた土地を拓いて実りをもたらした男。その男の意志を継ぎ、トウキビ畑とともに生きて死ぬことを自らの矜りとする者たち。それがクラヴマンの一族だ。当然、一族の歴史の最先端に立つボギーもその志を持っている。

○とはいえ、これだけでは物語は始まらない。当然のことだが、物語を駆動させるためには何かしらの困難やトラブルが必要だ。ましておれが書くのは純文学でなくパルプなのだから、物語はしっかりエンタメさせねばならない。
 ヘンな捻りは入れず、畑を狙う外敵を駆除する方向で進めることにした。着想を得た『Chicken In The Corn』の歌詞にも「畑にニワトリを入れるな、トウモロコシが育たない」とある。だったらこのニワトリを追い払おう。
 もちろん、本当にニワトリを追い払うわけではない。外敵はそれなりに強大にしなければエンタメとして盛り上がらない。
 だとすると、竜だろうか。強大な敵としては無難な、悪く言えばベタなチョイスだが、特に代案も浮かばないのでこれで行く。こいつと一戦交えるシーンまでを描写すれば、パルプの書き出し800字としてはひとまず形になるだろう。

◯そういう具合に書き進めた。
 結果、以下の初稿ができた。

 父祖から受け継ぐ1エーカーのトウキビ畑こそが、ボギー・クラヴマンの総てだった。
 日の出前に起き、妻の遺影に向かい両の掌を組み愛と祈りの言葉を捧げる。トウキビの粉を溶かした湯を啜り終えると、鍬、鋤、あるいはトウキビの種を携え畑に向かう。鍬と鋤を振るい赤土の塊を砕き、一粒一粒に慈しみを籠めて小指半の深さで種を植える。
 クラヴマン家の男は、トウキビ畑が一族の矜りであると教わる。クラヴマンの祖は飢餓に苛まれるラスバの集落を救わんとの一心から、知識も道具も持たぬ身で痩せ枯れた土地を拓き、血みどろに成り果てながらコヨーテどもを蹴散らし、夕陽を背に祈りを籠めてトウキビの種を蒔いた。天を衝くほどに伸び盛った茎には、はち切れんばかりの大粒を纏うトウキビが無数に実った。甘露の詰まった黄金の粒は飢えるラスバを救った。更にはスターチ、そしてバーボンに姿を変え、不毛のラスバに富をもたらした。奇跡の具象たるこの穀物は、クラヴマンの長子が父祖とラスバへの祈りを籠めて播種(はしゅ)した1エーカーの畑にのみ実る。
 代々のクラヴマンがそうであったように、ボギーも己が手を赤土に塗れさせた。夜ごと父が語る、遥かなる一族の物語。両の手を赤土と祈りに染め抜く日々の中で、ボギーは父の語る歴史を己の血肉と同化させた。ラスバの護り手であるクラヴマンの矜持と使命を自覚した。
 その自覚のもと、58年を生きた。


 天空から降り注ぐ炎の帯を、身の丈の倍もある長大な鋤でボギーは薙ぎ払う。熱風が髪と髭を焦がす。ボギーの眼が憤怒に燃え滾る。
「大蜥蜴が!」
 射抜く視線の先には、真紅の火竜が6枚の翼をはためかせ滞空している。ヒトの奇跡たるクラヴマンの穀物を狙う神獣、20年前に斃した個体より二周りは大きい。 
 火竜が顎を開け、ボギーが構える。 
 刹那、砲撃音が大気を震わす。顎下に砲弾を喰らった火竜の咆哮が空を劈(つんざ)いた。

「口内を外したか。──父さん!」

【続く】

 ラストの台詞はボギーの息子のものだ。クラヴマンの家を出奔して王国の騎士団長を勤めているが、畑の危機ということでボギーに加勢しており、援護射撃の砲弾をぶちかましたという設定だった。
 もちろんそんな設定まで読み取れという話ではない。だが、いきなり竜とのバトルに入るこの展開は唐突に過ぎないかと思った。すんなり読者に受け入れられるか不安がある。

○おれは記事を書いたあと、必ず友人たちに下読みを頼んでいる。例によって今回も読ませてみたところ、以下の感想が返ってきた。

一人目:
全体的に荘厳で良い。昨年君が書いた『セイント』を彷彿とさせる聖なる雰囲気がある。だが以下2点が気になる。
・1エーカーの広さを調べてみると1ヘクタールの約4割とのことだが、その面積で集落を支えられるほどのトウキビが収穫できるのか。
・ドラゴンのところは予想外すぎる場面転換。唐突な印象を受ける。

二人目:
前半は土の匂いがして、とても尊さを感じる話だった。世代を跨ぐ話というのも良い。後半は回想か過去編なのかわからなかった。時系列が異なることがスムーズに伝わる繋ぎを入れるべき。

 要約すると、雰囲気(特に前半)は良い。だが後半の展開はいささか唐突で困惑するとのことだった。自分の懸念がやはり正しかったことを確認し、おれは内容を練り直すことにした。

○パルプ(≒エンタメ)である以上、解決せねばならない困難や障壁、そしてそれに立ち向かう行動は絶対に必要だ。だがそればかりに気を取られていて、自分がその物語を通じて伝えたい『何か』が伝わらなければ本末転倒の結果に陥る。

○この話に通じる内容を、2022年大賞受賞者のしゅげんじゃさんが書かれていたことを思い出した。さっそく読み返してみた。

1. 読者にどのような「体験」をさせたいのかを意識しよう

なんだかんだ、これがかなり重要です。

たとえばですが、読んでくれた人に笑ってもらいたいのか、スカッとしてもらいたいのか、怒ってもらいたいのか、怖がってもらいたいのか……どのような体験をさせたいのかを意識することで、物語の方向性や、やるべきことなどを組み立てやすくなります(もちろん実際にどういう体験をさせたいのかは、もっと解像度高い方が好ましいです)

出典:逆噴射小説大賞2023ライナーノーツ的なやつ+α

 上記のインストラクションを噛みしめながら、更におれなりに考えてみる。

 先刻、おれは読者に伝えたい『何か』と言った。
 ここで言う『何か』とは、テーマとか思想とか哲学ではない。そういう遠大でないもっと身近なもの、はっきり言えば『感情』だ。
 喜怒哀楽。恐怖、不気味、痛快さ、カッコよさ、笑い、etc。読者にどういう感情を味わってもらいたいのか。つまりそういう話だ。しゅげんじゃさんが言われている『体験』をおれなりの言葉にするとこうなる。
 そしておれが伝えたい感情、『Chicken In The Corn』を通じておれが得た感情は、あくまで静かで、豊かで、厳かなものだった。畏敬の念とも言えるだろう。それも神のような人間を離れたものでなく、あくまで人間が本来持つ善性への畏敬だ。友人たちが言っていた「荘厳さ」「聖なる雰囲気」「尊さ」というのは、その辺りを汲んでの発言だったと思われる。

 ならば、この一点はブレてはならない。読者に一貫して聖的な/厳かな感情を味わってもらう、そのことを第一義に据えつつ、その範疇でドラマを描かねばならない。

○上記の方針のもと、話の筋を練り直す。
 結果、以下の第二稿ができた。

    父祖から受け継ぐ7エーカーのトウキビ畑こそが、ボギー・クラヴマンの総てだった。
 夜明け前、妻の遺影の前で両指を組み、愛と祈りの言葉を捧げる。トウキビの粉を溶いた湯を啜り終えると、鍬、鋤、あるいはトウキビの種を携え畑に向かう。鍬と鋤を振るい赤土の塊を砕き、一粒一粒に慈しみを籠めて小指半の深さで種を植える。
 クラヴマン家のトウキビ畑は、一族の歴史の当体である。飢餓に苛まれるラスバの集落を救わんとの一心から、クラヴマンの始祖は知識も道具も持たぬ身で痩せ枯れた土地を拓き、血みどろに成り果てながらコヨーテどもを蹴散らし、夕陽を背に祈りを籠めてトウキビの種を蒔いた。天を衝くほどに伸び盛った茎には、はち切れんばかりの大粒を纏うトウキビが無数に実った。甘露の詰まった黄金の粒は飢えるラスバの民を救った。更にはスターチ、そしてバーボンに姿を変え、不毛のラスバに富をもたらした。奇跡の具象たるこの穀物は、クラヴマンの長子が父祖とラスバへの祈りを籠めて播種(はしゅ)した7エーカーの畑にのみ実る。
 夜ごと父が語る、遥かなる一族の物語。ボギーもその物語に連なった。
 赤土に塗れた手で種を撒き、赤子を抱くようにトウキビの房を捥(も)ぐ。その傍ら、実りを狙う獣と人を退ける。卑しきコヨーテを、猛きバッファローを、国境の兵を蹂躙した蛮族を、始祖から伝わる20フィートの大鋤で薙ぎ払う。特別な業は何もない。代々のクラヴマンがそうしたように、ラスバへの想いを五体に漲らせて大鋤を振るうのみである。
 代を重ねるにつれ畑は豊穣さを増すが、簒奪者も強大さを増す。
 悪魔の仕業ではない。ヒトの手に成る奇跡を認めぬ、傲慢なる神の妬みである。神が見捨てたラスバの護り手、神意に背いた人間たるクラヴマンであるからこそ直観する。
 故にその日も、ボギーは動じず大鋤を携えた。
 畑の上空では赤竜が火を吐き旋回する。伝承には『意思ある災厄』と謳われている。
【続く】

 竜とのバトルは丸々割愛した。おれが立てた方針に照らすと、どうしても雑味やノイズになってしまうと思ったからだ。
 だが、目的(畑の実り)を阻む何らかの障害を描かねばエンタメとして成立しない。それも即物的な、その場その場に現れる敵ではダメだ。通常はそれで十分だが、少なくともこの物語においては、人間の営みと真っ向から対立する存在を敵役に据える必要がある。
 そういう訳で、敵は神そのものとした。ヒトに恩寵をもたらすのでなく、ヒトの営為やその尊さを根本からもてあそび、踏みにじる存在としての神。それに敢然と立ち向かう構図を以て、人間讃歌めいた豊かな感情を読者に味わってもらう狙いだった。

○件の友人二人に読ませたところ、おおむね好評だった。その上で、二人目の友人からは以下のリクエストを受けた。
「全体的に統一感がありすぎる。前作『セイント』は賭博に神聖な価値観を持つ男が主人公で、その対比として賭場の生臭さが際立っていたのが良かった。今回も少しでいいから人間の生々しさを入れてほしい」
 読み返すと、確かにボギーの聖人ぶりだけが描写されていて物足りない。少しは毒気が欲しい。この指摘を受けて、多額の寄付で肥えた司祭がボギーをよみする描写を追加した。

○また、『7エーカー』『20フィート』という具体的な数量は後に削った。ファンタジー世界で実在の単位を用いることを気にしたわけではない。数量を示すことでリアリティ=説得力を持たせたかったが、それがかえって裏目に出るリスクの方が大きいと感じたからだ。
 実際、おれはかつて『代書屋ゴンドウ』という作品で最終選考まで到達しながらも、審査委員長から数量の扱いで痛烈にダメ出しをされた経験がある。同じ轍は踏みたくなかった。

○以上の2点に修正を施して完成とする。そのまま、コンテスト開催日10/8の0時ジャストにぶっ放した。
 なお毎年の恒例で、開催日を迎えた瞬間に応募作を投下するやつらがいる。他人事のように言っているがおれもその一人だ。今年は30本くらいの作品が一斉投下されたようだが、おれの作品が一番最初に投下されたことになった。一番槍というやつだ。これが取れたのは少しうれしかった(※noteの『逆噴射小説大賞2024』タグで『新着』検索の一番下に表示されているため、おそらくおれが一番槍だろうという話だ。違っていたら申し訳ない)。

 一番槍に続いて自己満足の話だが、おれはX(Twitter)の自作告知ポストに作品のキャッチコピーを入れている。本作のキャッチコピーは特に良い出来に仕上がった。ひとりで悦に浸っている。

○次回のライナーノーツで詳述するが、今年のおれの応募作は2発目がやたらとブレイクした。その分初弾の『クラヴマン』は話題に上がることが少ないが、それでも結構な評価を頂戴している。
 以下に、読んでいただいた方々の感想ポストを紹介する。

 見る限り、刺さる人にはしっかり刺さってくれている感じだ。感想をいただける時点でうれしいが、おれの伝えたかったモノを受け取ってくれたことは何よりありがたい。
 また、文体を評価されたのもありがたかった。おれは浅田次郎の小説や『装甲騎兵ボトムズ』の次回予告のようないかめしい表現が好きだ。本作のしゃちほこばった語り口は間違いなくその影響下にある。自分の嗜好を認めてもらえてうれしかった。
 なお、一部毛色の違うコメントがあるが、これは『高校鉄拳伝タフ』という格闘漫画のセリフパロディだ。ネタ抜きに名作なので、未読の方はぜひ御一読を。

○余談だが、本作を他の友人、それと後輩に読ませたところ、存外に高い評価をもらった。そいつらが口を揃えて言うには、フロム社のダークファンタジーを彷彿とさせるらしい。おれはダークソウルやエルデンリングは未プレイなのでよく分からないが、テイストが刺さったのならそれで良い。

◯何にせよ、本作はかなり多くの方々に楽しんでもらえている。
 誠にありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。


 例によって長くなりすぎたので、今回はここまで。
 二作目『泥とプラチナ』については後編に譲る。