木曜日の晩に

今日は寒い。今日はお休み。残りの通勤日を数えながら過ごす職場は、暇で退屈だ。
あと2日経てば、また飛鳥井さんに会える。飛鳥井さんとこたつにもぐってごろごろしているのは、ある種の救いだ。

癒しの花


どこかで精神科医が言ってた気がする。ヒトは現実世界を頭の中で再構築して現実世界に対応しているとかなんとか、、、だから、現実世界になるべく近づけて再構築する必要があるとかなんとか、、、
だとしたら、事実とか真実なんてヒトの数だけあって、受け取るヒトの形に合わせて歪んでる。
事件とか事象とか誰かの言動の具体的に見えた表面部分だけが、確実な真実であり、事実なんだろう、きっと。でも、それさえも歪んだフィルターを通して知ることしか出来ないのだから、「本当の事実、真実」を目の当たりにしたかどうかさえ、実際のところはわからない。
心に抱いた事なんて、発信側も受信側も何かしら歪んでるから、100%の受け渡しは出来ない。だから、理解しあえないと言うことか。
この数ヶ月抱いてきた理不尽への不満や不安、攻撃的な気持ちは外に漏れ出していただろうか。不意に誰かがそれを拾ったりしていなかっただろうか。
まともな受け渡しが出来ないのなら、そんなことすら気にする必要はないか。それでなくても、みんな自分のことで精一杯だよね。
そんなことを考えるのも、労働意欲が下がるのも、みんな冬という季節のせいなのか。太陽の力が十分に届かないせいだとしたら、太陽は偉大だな。飛鳥井さんもこたつよりひなたぼっこのほうが好きだよね、きっと。こたつに走って来るけど。

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