4000歳のロックンロール [Master musicians of Joujouka 2024] 移動編
私は今、モロッコのカフェにいる。タバコの煙が霧のようにまとわりついてくる薄暗い目の前の景色とは裏腹に、私の脳内では昨日までの三日三晩浴び続けた高い笛を基調とした音楽が鳴り響く。まるで幻想のような余韻の中から抜け出せずにいる。
私が昨日までいたのは、モロッコ北部の小さな村、Joujouka (ジャジューカ)。ここでは4000年前から人を癒す力のあるトランスミュージックが演奏されてきた。イギリスのロックバンド、Rolling Stonesもこの村を何度も訪れて、Masterと呼ばれる音楽隊たちとレコーディングをしたことで世界的に有名になったらしい。この村にはとある伝説があり、今もその伝説を再現したお祭りが開催される。
大学のおじいちゃん先生、ゴリ押しの地
私の通うモロッコの大学のおじいちゃん教授、Chtatouくんが発したその言葉が旅の始まりやった。「Joujoukaではな、毎年夏に踊り狂うお祭りがあんねんけど、素晴らしいよ。そこはな小さい村やから宿とかないねん。でも、そこの人たちはすっごい優しいモロッコの村特有のおもてなしの精神を持っているからな、とりあえず行けば泊めてくれるでな。まあ行ってみい。」とChtatouくんは毎回授業で呪文のようにこの言葉を繰り返してた。他のモロッコ在住の日本人も「ラバト(モロッコの首都)にいるだけではモロッコに行ったって言えへんといっても過言ではない。村には行く価値あるよ〜」と言っているのを聞いて、私はまだモロッコの表面をサラサラ撫でているだけで、全く深掘りできてなかったことに気づかされた上、帰国までの2ヶ月先のカレンダーを見通してみても白紙だったので、これはJoujoukaに行かん手はない、ちょいと冒険してみよう!と頭の中で腕まくりをした。(カレンダーが白紙であることは別に帰国前に限った話ではない。なんなら働きすぎが叫ばれる母国にいても私のカレンダーは割と白い。それが私の取り柄。)
授業中にネットで調べてみると、毎年外国人に向けた三泊四日、宿泊代、ご飯代込みの企画があるらしい。でも、モロッコ留学で散々親のスネにかぶりついている一介の大学生の身分からすると諦めざるを得ない価格。それでも、この値段には理由があるはず。他の外国人みたいに三日間滞在できなくても、自力で近くまで行ってちょっと音を聞くだけでもいいか〜、そんでどこに泊まるかが問題やけど、まあChtatouくんが言っていたみたいにお祭りに来ている家族に泊めてくれるようにお願いすればいいか〜と舐めまくっていた。散々Joujouka行きを勧めてきたChtatouくんに村までの移動方法を尋ねても、「またメール送ってくれたら詳しいこと言うわ」とかわされる。なんで。
旅は地図作りから
仕方ないから周りのモロッコ人に尋ねても、Joujoukaという村の存在を知っている人はおらず、どんどん私の中のJoujoukaに霧がかかり始める。ただ、私は行くのが難しいとわかるほど私の冒険魂に火が付く質なので、すでに私の部屋にはJoujoukaの音楽が爆音で流れ始めていた。気合いしかないのがわかるでしょうか。とりあえずGoogle mapと大学の友達に電話をかけまくり、ついに自作の地図が完成した。
この手がかりとなるお手製地図を握りしめて、Ksar el Kebirという街に向かった。まずはバスに乗る。早速、この地図の出番。バスはほとんど英語が通じない環境なので、できるだけ多くの周りのジジババと運転手たちに「私の目的地ここやから着いたら教えてな」とこの地図を使って伝えておき、正しい場所で降車できる打率を高めておく。今までのモロッコ人に対する実績と信頼から、私は安心してしばらく眠りについた。
参加するには6万円、問題だ。
それから、ジュラバ(モロッコのフードがついた民族衣装)を着たじいちゃんに肩を叩かれ、眠気まなこをこすりながらあれよあれよと移動し、ジャジューカから一番近くの小さな街、Ksar El Kebirで乗合タクシーに人が集まるのを待った。祭りがあると聞いていたから必ず同じように村に行く仲間がいるはずだ、と期待していたけれども、1時間以上待てど大好きなヨーグルトを3つ食えど、他の参加者は現れない。途方に暮れてハリーポッターを読んでいたところ、一台のタクシーが通りかかり、中にいた外国人のおじさんが「どこに行くの」と声をかけてくれた。そして村のお祭りに参加したい旨を伝えると、「それは問題だ。これは小さなお祭りで、みんな予約してきているから、6万円を払わないと参加できない。問題だ。」と割と不安を煽るフランクの「問題」という言葉のサンドウィッチが、期待に膨れ上がった私の冒険心を鎮圧する。ここで思い出されるのがおじいちゃん教授、Chtatouくんの言葉。「村の人は外の人を受け入れる体制が整っているし、なんといっても彼らにはホスピタリティがあるんや。だから、お祭りは誰でも参加できる。みんなが受け入れてくれるはず。一回体験してみい。」私はその言葉を信じて疑わなかった。クソお。あのかわいいおじいちゃんめ、絶対お祭り行ったことないやん。毎度授業で繰り返していたことと現実、結構ギャップありそうやで。いやあ調査不足かあ。ここで終わりかあ。なんとかならんかあ?でもなあ、と私が堂々巡りな考え事をして燻っていたところ、フランクは「とりあえずカフェに行って相談しよう」と言って、私をタクシーに乗るように促してくれた。この一言で気分は一転し、なんだか心の奥でこの旅が続けられるような気がしていて、フランクの後に続いた。なぜならモロッコでは大体、問題が起こったときカフェに行ってしばらく話すとなんとかなることが多いからね。しめしめ。
アイルランド版秋元康、フランクに出会う
彼の名前はフランク。アイルランド生まれの歌手であり、歴史学の教授であり、なんと、30年以上前からJoujoukaの村に通い、長年この村の祭りをプロデューサーとして開催してきたらしい。道端でたまたま私を拾ってくれた外国人の彼という印象から、どうやらヨーロッパでは秋元康的なポジション、またはそれ以上?という印象に私はなかなか結びつけられないし、Joujoukaの他に特に行く宛も無いので、気の利いたことを言えない私はとにかくテーブルに置かれたミントティーをぼうっと飲んでいた。しばらくすると、彼は柔軟にも一泊だけ滞在することを提案してくれた。それでも私のお財布事情的には厳しい出費になりそうなので、一旦母に相談した。それから母が「そこまで行ったらいくしかないんちゃう!」と乗り気な反応で後押ししてくれたこともあって、改めてJoujoukaへの旅を決行することにした。
この日、フランクに偶然会うことがなければ私は村の祭りの勝手も知らずに、Ksar El Kebirで一日中、みんなに食べ物を恵んでもらいながらタクシーの運ちゃん達と談笑して待ちぼうけになっていたことやろう。しかし、フランクとの出会いのおかげで未知の世界に足を踏み入れることができた。滞在を許された1日を誰よりも楽しんでやる!という気合に溢れていたこの時の私は、冒頭に書いた通りあらゆる縁の巡り合わせのおかげでJoujoukaに三泊四日のフル参加をさせていただく展開を迎えることは何も知らない。