二十一歳、何がめでたい
googleのドキュメントに残っていた21歳の時の文章
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「めぐのガツガツしたところ、すごくいいところだと思う。だから、これからも絶対に芝居を辞めるなよ。」
当時十三歳の未熟な劇団部員の私に当時二十一歳の先輩部員の理央さんが言った。
それから八年が経った。「めぐ、変わらないねぇ。」理央さんはしみじみとつぶやき、ビールを飲み干した。目の前の理央さんはいまや有名劇団員女優だ。この八年の間に拠点を海外に移し、ニューヨークで演劇を学び、日本に戻って入団した。諸々が落ち着いたタイミングでSNSを通じて連絡をくれ、八年ぶりの再会が実現した。私も久しぶりに会えるのが楽しみだった。当時、妹のように接してくれた彼女は今でも自分にとって特別な人だからだ。演劇に限らず、今彼女が何を考えているのかとても興味があった。
久々に話してみると、当時と変わらない豪快な笑い声や話を聞くときの真剣な眼差しは変わらず、安心感に包まれ、嬉しさを感じた。
同時に、今でも女優を続けて活躍している彼女に羨ましさも感じた。でも劇団をやめて、書道や経営学に打ち込んだ自分だからこそ彼女と出来る会話をしたいとも思った。
十四歳の私が劇団をやめた理由は、今の自分に足りない経験は「部活動に一生懸命になることだ」と考えたからだった。何年間も 毎日」なにかに没頭したという経験がしたかった。ネットで、有名な役者の経歴と自分の経歴を比べ、自分に足りない経験を探した。何者かになりたかった。私には個性がなかった。だからガツガツと前のめりの姿勢でいることが当時の自分にとって個性だった。でも表面的な姿勢ではなく、精神的な瞬発力や忍耐力で勝負したかった。だからこそ、自分に自信が持てる経歴や経験をしたいと考え退団した。人と比べず、自分の納得のいくまで部活動に専念する時間が欲しかった。結果、いい指導者や仲間に恵まれ、毎日没頭して過ごせた。書道では文部科学大臣賞を受賞できた。
「めぐは今、結局何になりたいの?」就活を控えた私に、理央さんは純粋な質問をした。「営業をやりたいですかねぇ。人が好きで、話すことも好きで、商材にこだわりなくて。」そんな答えしかできなかった。あの当時に想像していた二十一歳の自分は、頑張った人生の結晶のはずだった。実際は、こんなちっぽけな回答しかできなかった。何者かになれていなかった。二十一歳、なにがめでたい。
「めぐ、マネージャーとかやればいいのに」当時から、演者が気持ちよく演技が出来る空気や環境を重要視して色んな人と会話をとっていたことを思い出してくれたそうで、あっけらかんと彼女は言った。あぁ、そうだったなと、どこかすごく「しっくり」きて、気持ちが楽になった感覚を今でも忘れない。
自分の人生の経歴の遠回りさは、マネージャーが持つ面白さと効率的なコミュニケーションを図れる人間になりたいと思ったからなのかもしれない。
本当に商材にこだわりがないのかと考えてみた。それと同時に自分はどんな人間になりたいのか考えた。
常に憧れや夢を想像しながら、例え回り道に見える人生も頑張り抜いてこられた。女優を諦めても、何者かを目指し、憧れをその時々で見つけてこられた。誰もが常に夢や憧れを持っているわけではないと思う。みんな「縁」と「決断」の末に納得しながら、時に悩みながらも、今の自分がいるはずだ。だから私は自分の人生を通して、自分も含めて人の背中を押したい。回り道も直線も人の生き方に寄り添いたい。きっと私は「夢」を商材にして仕事をしたいのかもしれない。