今日の朝、仕事が始まる前の少し空いた時間に、ふっと理解出来たこと。 わたしは 自分という存在が、果たしてこの世界の定義する、○田○子(仮名)とイコールである、という前提というか、戸籍だとか住民票だとかそういう自分を説明するとされているものが、全くもって理解出来ていない、受け入れられていない、ということ。 だから、学校であるとか会社であるとかそういった団体の一部に”所属”する個人、として行動したり、そういう”○山○太郎(仮名)的定義”のフィルターを通して他者から見られること
そうか自分は躁鬱の傾向があったんだな、と 病院に行って診断されたわけではないけど、そう思うことで少しでも今の自分を許容できるなら、そうだということにしておこう。 今までの”自分”がどう生きてきたのか、どう考えてどう人と繋がってきたのか、何も思い出せないくらい こんがらがって溺れて地面に足がつかなくて、バタバタもがいている心境だった。なんで今さら、今年34になる年でこんなにも自分を見失うほどもがき苦しむなんて…とショックだったけど、ただ、大きな鬱(と言っていいのかはわからない