忍煮苦二郎に京都二郎に連れて行ってもらった時の話
直系二郎に行きたい時、誰に頼れば良いかといえば当バンド(東京恋慕)ドラムの忍煮苦二郎。
それは誰もが知ることであり間違いなく確定事項である。
私はその信念に沿って生きている。
2022年5月6日。
私は東京恋慕の大阪遠征の為、朝早くから準備をしていた。
いつもならば行きも帰りも夜行バス一択である。
しかしながらこの時は、
少し大人になった自分を実感したくて、
文明の利器を味わいたくて、
時間を節約したくて、
楽したくて、
沢山の理由はあるが行きだけは新幹線という選択肢を取っていた。
当バンドのドラム、忍煮苦二郎(以下くじろう)に頼れば間違いない。
その思いで彼に新幹線のチケットの購入、待ち合わせ場所や時間の指定等ほぼお任せであった。
ぶっちゃけ実際間違いないのだ。
普通に考えて彼は社会人なので。
「どんなスケジュールで行くの?」と尋ねる私に対し
「※※※なんちゃらであと伏字**t※で京都二郎に行くよ〜そのあと☆※伏字※」とのことだったので
京都二郎にだけ連れて行ってもらうことにした。
こんな所からなんだと思われるのは承知で、結論から話そうと思う。
私は父が京都出身で、幼少期から京都に行く機会が多くあった。
その私の思い出の殆どが、京都二郎に塗り替えられてしまった。
それほどまでの体験だった。
その後無事大阪に着き、大阪観光には目もくれず速攻で2時間近くかけて京都二郎に向かい、
その先で私たちが目にした物は、
「準備中」
その3文字だった。
スケジュール通りであれば普通に並んでありつける時間であった。
しかし目の前には「準備中」の文字。
どうしてそうなってしまったかは色々理由がある。
GWの特別営業の日程ではなかったこと、
それを勘違いしてしまう様々な要素があったこと、
等等誰も悪くないのだ。
どんなに頭をめぐらせても悪となる人物がいない。
しかし、朝から何も食べず、昼過ぎまでお腹を限界まで空かせ、今そこに二郎がある!すぐ食べられる!ということを信じて進んできた者には相当堪える結果だろう。
極限まで腹減ってる時にそんなあんま頭回らんというのもある。
私は怒りっぽいと自負している。
非常にキレやすい。特に空腹時は顕著だ。
それを知ってか知らずか、横にいるくじろうがめちゃくちゃビクビクしているのを感じた。
しかし私はその時気づいた。
何の怒りも憤りも湧き上がる気配がなかった。
営業再開まであと約2時間ほど。
普通、朝から何も食ってない空腹極限状態でブチギレ散らかしてもおかしくない状況である。
しかし、何の怒りも湧かなかった。
生まれてきてそうない不思議な体験だった。
どんなにこの状況ヤバいぞ!と奮い立たせても怒りが湧かないのだ。
横でくじろうが本気で冷や汗をかきながら
「やらかした〜!!もう無理!!!!どうしよう!!!死ぬー!!!」
みたいな挙動であることに対し、私は冷静沈着のままでいられた。
何度も言うがどんなに考えを巡らせても全く怒りという感情が湧いてこなかった。憤怒の類が一切合切どこか遠くに失われてしまったかの如く。
それがどうしてだったのかは今でもわからない。
この日を境に怒りっぽさが消え失せたわけでもない。
それはやっぱり、京都という、二郎という聖地がもたらしたものだったのだろうか。
それはだれにもわからない。
その後二人は近隣の方に教えていただいた下鴨神社に行き、お参りをし、水みくじを楽しみ、
無事充実した時間を過ごし
夜営業の京都二郎にありつくことができた。
そこからはもう殆ど記憶がない。
席につきコールをしただただ食べるだけ。
気づいた時にはスープを完飲していた。
小さいサイズを注文していたとはいえ二郎や二郎インスパイア全てを含めてもはじめてのことだった。
最近(2022.7月現在)コロナは増加傾向ではあるが夏休みシーズン、旅行の広告がたくさん出ている時期である。
京都の広告を見て例年思い出すことは、
親戚や、普通の京都のこと(清水寺とか)なのだが、
今回は
「京都二郎超美味しかったなぁ〜…」
が第一だった。
親戚関係でたくさん行ってたのもあってたくさん思い出もあり、ほぼ京都に行くことも大人になった今もうないのだが、
まさか新しく塗り替えられてしまうとは。
正直くじろうからすればやらかした記憶でいっぱいであろうと思う。
しかしドクにとっては不思議で満たされた経験であった。
くじろうの力なくしては至ることのなかった境地だ。
彼に対してマジ感謝!
京都二郎超美味しかったなぁ〜…
終
また是非行きたい
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