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紫の背広、の企み。
福永せんせは、洒落た人だと思う。
服も、眼鏡も、持ち物も。
彼が選ぶものはすべて色や形が美しい。
たとえ既製品でも古着でも、彼が選んで身につけると、まるで彼のために誂えたかのようにしっくり来るのだ。
センスがある、なんて言うと月並みだけど、そういうことなんだと思う。天性の審美眼、というか。
「お、今日はそれなんですね」
「うん、だって君と久々に観劇に出かけるんだから」
彼が身にまとっているのは紫のセットアップ。
藤の花のように柔らかな深みのある紫色が、柔らかなアイボリーのシャツにも、色の白い彼の肌にも、ピッタリとマッチしている。
「美しいなぁ…それ、好きです」
そんな風に惚れ惚れと言葉を紡げば
「そうかい?…なんだか照れちゃうなぁ」
そう言って笑い返す、藤の神様みたいな愛しい姿。
「けれどね、嬉しいよ。僕のお気に入りだからね」
そう続けるものだから、本当に愛おしい。
言葉を尽くして褒めたくなるし、今が出かける前ならば、思い切り抱きしめて口付けたいのに。
「……ふふ」
「……?ど、どうしました?」
「いや、抱きしめたいと言わんばかりの顔だなって」
「……バレます?」
「バレます。…帰ったら、していいからね。今は皺になっちゃうから駄目。いいかい?」
そんなこと言われたら、はぁい、と引き下がるしかない。
愛おしさから理性を薙ぎ倒しかけていた自分を、なだめ透かしてグッと抑える。
と、「ところで」と福永せんせの声。
「君は今日、その色なんだね」
「あ、はい!」
「その色」というのは、翡翠の石のような深い緑のこと。
白いシャツブラウスに、くるんとスカートを巻いたようなデザインの、深緑のパンツ。
これにパンツと揃いの短いジャケットを合わせたものが、今日の私の服装だ。
実はこれも、かつて福永せんせが選んでくれたもの。
珍しく強めに「これにしなよ」と勧められて、最初は「いきなりどうしたんだろう」と思ったのを覚えている。
「私も、福永せんせと観劇ってのでおめかししてるんですよ」
そう言えば、花がほころぶように笑う彼。
「そうなのかい?それは、僕も嬉しいなぁ。今日、これを選んでくれたのが尚更ね」
今日、という部分に、確かな強調を感じる。
お出かけの日だからだろうかと思っていると、彼の手が巻きスカートのような装飾に触れる。
「だって、紫を補う色だろう?緑って」
「補う、色……」
言われて、学生時代に見た美術の教科書を思い出す。
あの中に書かれていた色相環。そうだ、紫と緑って……
「補色ってやつだね。紫と対になって、色相を補うのが緑。……だからこそ、君にはこれを着て欲しかったんだ」
「だって、互いを互いのまま、それぞれの個を持ったまま補い合うなんて、まるで君と僕みたいだろう?」
あの日、やたらとこの服を推してきた真意。
その奥にあった、優しくて甘い企み。
それが今すべて繋がったことに、ハッとさせられる。
「じゃあ、せんせが『今日選んでくれたから嬉しい』って…」
「そういうこと。一対の色を纏って出掛けるって、僕のひとつの理想を叶えられたのが嬉しくてね」
甘くて優しくて、そして誇らしげな、美しい笑み。
愛おしさに溢れた、2人だけの秘密の企み。
目の前にして、喜びにクラクラしない訳なんてなくて。
「そう言われると……選んだのが誇らしいじゃないですか、せんせ」
「そうかい?それはとても幸せだなぁ」
僕の理想が、君にとっても美しいものである訳だから。そう続ける言葉が、この上ない歓喜と愛に満ち満ちていて、私まで嬉しくなる。
「なんだか、早く外の世界に飛び出したくなりますよ。こんなにも、誇らしい姿してるんですから」
「……もう。本当に君は、愛らしい事ばかり言うんだから」
愛おしげに呟くと、ふと近づく藤色とアイボリー。
と、花びらが降るような柔らかいキス。
「僕の理想も愛してくれて、ありがとうね」
「……っ、えと…どういたしまして、です」
「真っ赤になっちゃって、愛らしいなぁ。…それじゃあ、そろそろ出ようか」
「…あ、はいっ!いざ行かん、ですね」
そう言って、私もハンガーに掛けていたジャケットを着る。
翡翠で染め上げたように艶々ときらめく袖を見ると、やはり蘇るのはさっきの種明かし。
補い合って、2人でひとつ。
愛しい企みを秘めた姿に少し口許をゆるめながら、彼の手を取って玄関へと向かった。