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柔らかな、冬の「かぜ」の日を
ここ最近、気温が上がったり下がったりしていた。
天気も、晴れてたかと思ったら急に雨が降ったり。
そんな天候がずっと続いたからだろうか。
久しぶりに、盛大に風邪をひいてしまった。
げほげほ、ごっほごほと苦しそうな音が、他ならぬ自分からしているのが不甲斐ない。
咳のしすぎで肺と気管支が痛むのが、ちと苦しい。
風邪って、こんなに苦しいものだったっけ…。
そうベッドの中で少し感傷に浸っていると
こんこん、と響くドアの音。
「入るよ?」
福永せんせの、優しいテノール。
あたたかな毛布みたいな、それでいて優しい甘さのはちみつレモンのような。
そんな声に、咳の狭間で「どぞ…」とお返事。
がちゃりとドアが開けば、そこにはタンブラーを手にした福永せんせの姿。
薄水色のシャツに白のニットが、まるで風花が舞う冬の空気を切り取ったようで、愛らしく美しい。
「あ、ごめんね。咳き込んでたのに…」
お水、また入れてきたからねと言う声と、ローテーブルにタンブラーを置く音。
それから、仕事用のデスクから椅子を引いて持ってくる音。
どれも、ほんの少し申し訳なさそうに響くのが、胸にきゅっと苦しい。
「あ、いえ…昨日よか、まだマシ、なので……」
本当は、マシになってるのかどうかもよく分からないけど。
でも、そんなに申し訳ない顔されたら、つい嘘でも言いたくなってしまう。
「そうかい?それは何よりだけど…でも、」
そう言いながら腰掛ける、せんせの姿。
と、ロダンの彫刻のような、彼の手の感触。
「元気にならないとって、焦ったり強がったりしちゃだめだよ。それは、今すべきことじゃないからね」
……どうやら小さな嘘も、彼にはお見通しらしい。
つい先日切った前髪を、宝物みたいにやわく撫でられる。
観念して、返事の代わりにこくりと頷く。
「ん、いい子」と彼の目が細くなるのが、じわりと胸を熱くする。
と、するりと下がる骨ばった指。
頬に感じる、ピアノの鍵盤を叩くような優しい刺激。
ふふ、と微笑む表情に、思わずきょとんとする。
「いつもなら僕が寝込んで、君がこうして見守ってるのにね。……何だか不思議だなぁ」
「あ…」
確かに、春頃に風邪を引いたのは福永せんせだったっけ。
季節が流れて、今度は私が風邪っぴきになって。なんだか不思議な巡り合わせだ。
「横になっている君を見下ろすなんて、不思議な気分だよ。だいたい逆か、お互いに横になっているもの」
話しながら、やわく動く指先。
頬を撫で、少しかさついた唇に触れる。
耳をかすめる、皮膚の向こうの骨の感触。
宝物みたいに触れてくれる手のひらが、愛おしくて。
胸がいっぱいになって、つい私まで口許がほころぶ。
「……あ、笑った。もう、幸せそうな顔して」
また頬をむに、と突く指。むに、むにと続けるから、つい笑って、咳がまた少し。
すると、「ああ、ごめんね」と指が離れて。
代わりに、口元に彼の携えてきたタオル。
柔らかな感触に口を拭えば、申し訳なさと愛おしさを足して2で割ったような手つきで、頬をやわく撫でる手のひら。
その向こうには、やわくあたたかな眼の彼も感じる。
「今日はゆっくり、自分を大切にして過ごすんだよ。大丈夫、僕もここにいる。執筆、もう終わらせてきたから、そこは安心してね」
「だから…今日はここに居るから、君は安心してしっかり休みなさい。それが君の今日のやるべきことだよ。……できるかい?」
柔らかなテノール。「やるべき」って、いつもの口癖。
あたたかな体温に、優しく慈しむような表情。
不安もつらさも、心細さも、全部溶かしてくれる。
「はい」と、いつもみたいに返事ができないのはもどかしいけど、気持ちは伝わるって分かってるから。
彼の目を見つめ、また頷けば、彼が陽だまりみたいに笑うのが見えた。