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帰路にて、すこやかなるを願う

カタン、カタン。タタン、タタン…

夕方だなんて分からないような、淡い青の空。
私と福永せんせを乗せた電車が、その空の下を緩やかに駆けていく。

傾斜のあれこれなのか、時折小さく跳ねる車輌が
子供の慣れないスキップみたいで、不思議と心地いい。

「……ふふ。せんせ、寝ちゃいましたね」

神社で茅の輪くぐり、もとい「名越の大祓」をした帰り。
梅雨時の暑さと、少し長く歩いたのがあったのか
福永せんせはすっかり夢の中だ。
私に寄りかかる体は、規則正しくやわらかな寝息を立てている。

「まあ、今日はジメッと暑かったしなぁ…しょんなかですよ」

貝殻のように重ねて、握りあった手のひら。
それを優しくきゅっと握ってみる。

体温がじわりと伝わる、骨ばった大きな手のひら。
あるときは涙を拭ってくれて、あるときは頭を撫でてくれる。
優しい手のひらだよなぁ、と思う。

握りしめながら、今日のことや、その前のことも思い出す。

茅の輪くぐり…もとい、「名越の大祓」の案内を見つけてきてくれたのは、珍しく福永せんせの方だった。

「……なごしのおおはらえ、ですか?」
「そう。夏を越すって書いて『名越』。おおはらえ、は大きいに厄祓いの祓う、だね。」

聞いたこともないような名前の行事を、福永せんせは優しく教えてくれた。

夏が来る前の、6月末にやる神道の行事だということ。
上半期に知らず知らず溜め込んだ悪いものを払って、下半期も元気に穏やかに過ごすための行事だということ。

茅の輪(ちのわ)なる大きな輪っかをくぐる風習があること。
体の悪いところを紙の形代で撫でて、納めること…などなど。

「心身の健康を祈るっていうのが大きな目標みたいだからさ、一緒に行きたいなぁってね。ほら、クリスマスのときに一緒に約束しただろう?」

そう言われて、とても嬉しくなった。
きらきら、ちかちかと光るツリーを一緒に眺めながら、2人でした約束。

⎯ 頑張りましょ。私も、頑張りますから。共に生きましょう。
⎯ それ、いいね。共に生きるって。約束したくなる。

⎯ しましょ、約束。指切りげんまんで。

あの日の、やわらかな暖かな約束を、福永せんせは覚えていてくれたのだ。
そして、その約束を果たせるように、「名越の大祓」を提案してくれた。

その暖かでやわらかな想いが愛おしくて、提案に乗って、2人でちょっと大きな神社まで、電車で向かったんだよね。
そう思うと、改めて、この心地よいリズムで寝息を立てる彼が愛おしくなる。

やり方を予習したおかげで、2人で正しくできた茅の輪くぐり。
梅雨時の湿気を浴びながら、福永せんせは胸の辺りを、
私は喉と肩と…届く限りの背中を、願いを込めて形代で撫でたこと。

帰りには神社を出てすぐの自販機でお茶を買ったこと。
手をつないで、たまに吹く風に心地いいねと笑ったこと。

今こうして、電車のリズムに心地よく眠る彼と、
それをきっと…愛おしげににまにまと見つめる私の姿。

そして、その全ての根っこに、「一緒に健康に生きようね」という、ささやかで大きな願いごとがあったこと。

きっと、来年も再来年も、忘れないんだろうな。
愛おしくやわらかな確信に、ひとり笑みを浮かべる。

ねえ、福永せんせ。
来年もその先も、こうして一緒に、生きていきましょうね。

胸のうちでそっと呟いて、また彼の手をきゅっと握った。

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