移住体験記② 〜notオンライン〜
こちらで過ごしてからのわたしには、膨大な「余白」がある。
テレビがない、Wi-Fi環境がない、娯楽がないetc...
「ない」ものがたくさん、本当にたくさんある。
じつはここ最近までは、モバイルネットワーク通信でインターネット接続をしていた(テレビは映らないけれど、特段不自由を感じない)。
主に、家族や友人とのLINE、レシピ検索、天気情報の閲覧などなど(さすがに動画の閲覧はできなかった。途方もないパケット量になるので)。
だけど、今月は調べ物が多くて、パケットを契約プランギリギリまでネット使用をしてしまっていた。
これはまずい、と思い、数日前からモバイルネットワークをOFFにしている。
結果、電話や一部のアプリを除いて、いっさいのネット通信から離れている状況だ。
スマートフォンの存在は、もう長いこと当たり前のように日常になじんでいる。
きっと、多くの人がそうだと思う。
スマホでなくとも、タブレット、パソコンなど、電子機器を持たずに生活する人……特に若者は、あまりいないのではないだろうか。
まちがいなく、スマホはじめとしたデバイスは便利だ。
仕事においても、プライベートにおいても、どのシーンでも。
通信ができないとはいえ、この文章だって、キーボードで書いている。
読書だって、ダウンロードさえしておけば、Kindleで多くの本が読める。
音楽もオフライン再生できるし、podcastだって聴ける。
だけど、必ずしもそれらがないと生活がなり立たないかというと、
そうでもないなぁ。
これが、わたしが抱いたネット断ちの印象だ。
この世の理が等価交換ならば、わたしはインターネットに接続することで、何を得ていたのだろうか?
スマホを手にしなくなったぶん、外の景色に五感を解放する時間が増えたと思う。
エアコンがないのに拘らず、ここではすでに涼しい風が吹いている。
扇風機さえいらないくらいだ。もちろん、日にもよるけど。
このあいだ1週間はエアコンが欲しいと切に願ったけれど、そんな時期もすぐに終わって、心地の良い夏らしさを感受している。
風とともに漂ってくる森の香り、すこし湿った空気の匂い、緑豊かな山、ひぐらしの涼やかな音色、木彫家具の手触り。
調べごとをしたくなる瞬間や、誰かと連絡を取り合いたい時もあるけれど、
なければないで、あるものを充分に満喫できる。
そのことに気づいた。
目の前にこんなに豊かな自然が広がっているのに、そのことに気づくのがやや遅かったような気がしないでもない……。
いかにじぶんが鈍感なのか思い知らされたようである。
必要なときは使うとして、この環境では、こういう生活がより「自然」なのかな。
考えてみたら、想像する の「想」という字は、「木」と「目」というビジュアライズ的な要素を含んでいる。
木を目で見て、心で感受する。
こういうゆったりとした流れの中で、想像力は培われるのかもしれない。
これまでのわたしの脳内比率は、圧倒的にインプットが多かった。
アウトプットしたい、したいと、なんとなくジリジリとした気持ちが渦巻くばかりで、
集中することができなかった。
情報の過剰摂取をすることで満足して(いや、それは自己欺瞞なのだがそれはまたの機会に)、消化を怠っていた。完全なる脳内情報の消化不良。
脳が自然に何かを生み出そうとする余白がまったくなかったのだ、きっと。
怠っていた脳の棚卸しをして、ゆっくりといろんなことと向き合うことが、
これからのわたしにとって、たいせつなこと。
ど田舎古民家カフェの片隅から。
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