キケロ「老年について」#12 若者の教育のための体力
老年になって身体が弱くなるという話になると、大勢の前で演説をするような者が、高齢によって言葉の説得力が薄れると心配することもあるだろう。確かに弁論の技術は、知性以外にも肺活量や体力が関わっているからね。
しかし、声そのものについては、年を重ねることで耳に心地よい朗々とした声になる人も多いものだ。
それに話し方については、中年以降になれば穏やかで抑制の効いている方が適切だろうし、落ち着いて品のある話し方の方が相手も聞きやすいということが多い。
何より、年をとって、たとえ上手に話せないようになったとしても、こうして君たちのような若者の指導に当たることはできる。つまり、老年になって体力が衰えたとしても、若い人に、人生で背負う多くの義務に対して覚悟ができるよう教えるくらいの力は残っているものだ。
改めて考えてみると、老人にとって、若者の熱気に囲まれて過ごすこと以上に楽しいことがあるだろうか。
若者たちを教育すること、これほど名誉と責任のある仕事はほかにはないのだ。