生きていて感じる不安な気持ち
仕事をして、恋人がいて、いつも楽しくて、心が安定していること。
一方で、これからの人生をどう生きていこうと考えた時、この状態のままでいいのだろうかと不安に思うこと。
最近考えた「安定」について、もう少し考えてみる。
今が楽しければOKと思いつつも、やりたいことや行きたい場所はたくさんあって、けどそれを実行するのにはエネルギーがいる。安定と同じペースで歩いているのに、わざわざ走り出すのにはやっぱりパワーがいる。
楽しい今を少しだけ我慢して、やりたいことをやる。恋人同士であれば、二人の時間を少しだけ譲り合って、ちょっと違う方向を向く。なんかできそうじゃんそれ!と簡単に思うのだけど、それを実行するにはお互いの理解が必要不可欠だ。
理解するというのは歩み寄りとかすり合わせること。まっすぐ同じ方向を向いて進む予定の二人だが、僕らはお互いに一時的な寄り道がしたい。不安を解消するための寄り道だし、まっすぐ進む道を太くするための寄り道でもあるのだが、なかなか寄り道の希望を言い出せずにいる。大丈夫、きっと戻るから安心してほしい、と言い出せない。
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安定と不安定の両立は難しく、一見すると両立の必要すら感じなくなる時がある。だって今が一番だから。充実して安定している今を過ごすことが、最重要事項だから。安定にどっぷりと浸かる。幸せだ。迷いはあるが、安定の懐は深く温かい。
友人の口癖は「野心を忘れないで」だった。今ならよくわかる。野心というのは、不安定のことなんだ。現状に甘んじることなく、常に好奇心旺盛で動き回ること。興味を失うと思考は停止してしまう。易きに流れるのではなく、心にある不安定な要素を大切にしろということ。
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気持ちというのは常に不安定なもので、昨日の考えが今日には変わっていることはよくある。と言いつつ矛盾するけど、変わらない気持ちもあると思う。愛情とか無償の愛というもの。
けどやっぱり、愛情も変化はすると思うので、変わらない気持ちというよりも、変化が起こりづらい(見えづらい)気持ちといった感じかもしれない。
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安定フィールドで生きるのも、常にぐらつく不安定フィールドで生きるのも、いずれも正だ。そして人は、隣の芝は青く見えるよねって思っている。両者は相入れないように見えるが、それは違う。互いにないものねだりのようで、実は相互関係なのだと思う。
一方のフィールドにいるだけだと、湯はぬるくなり感覚が麻痺する。隣の芝も青くなくなる。安定と不安定は、常に両方を手にしておかなければならない。安定フィールドで得られる穏やかな気持ちや帰る場所的な安心感は、不安定フィールドで生きるときの支えとなる。
現状に抱く違和感と戦うためには、変化を厭わず動き続ける必要がある。けどそれは、決して安定を捨て去ることではない。安定と不安定は共存できる。
変化を嫌うと、変化しないものへの興味が失われかねない。不安定な気持ちがあるからこそ、安定した気持ちの大切さを感じる。それは、不安定フィールドに行かない限りだんだんと薄まっていく感覚だ。
自分に正直に、好きなことを好きなだけやる。大切にするべきことと、問い続けなければいけないこと。その見極めは難しいが、自分を信じるしかない。何かを貫くのは勇気とパワーがいる。けど寄り道することで、平坦な道にも味が出てくるのかもしれない。