つまんねぇ文章書いてんじゃねーよ。主観を突き抜けろ!!
この記事のタイトルは、
自分から出た自分に対するコトバ。
ふと以前投稿した自分の記事を読んだ。
違和感、違和感、違和感。
こんなの「私」じゃないって感じた。
まず、「ですます調」に違和感。
もともとは「である調」で文章を書いていたんだけど、
noteでは意識的に「ですます」を使ってみていた。
「ですます調」の方が読み手に優しい印象があるかなと思って。
そして、
文頭で読み手に呼びかけるような内容、
文末で読み手へのメッセージを書いてるんだけど、
これも違和感。
前に、はてなブログやっていた時は
一人語り的に自分のことを書いていたけど、
数ヶ月前にnoteを始めるにあたって読む方との繋がりを大事にしたいと思った。
だから、読んでくれる人への読びかけの文章も意識的に入れていた。
昨日投稿した子供の夜驚症の体験談も「ですます調」で読み手の方に向けて書いてみたけど、投稿したそばから違和感。
どこにも私っぽさが感じられないのだ。
夜驚症の体験は書きたかったし、
書いた内容自体が嫌なわけじゃないんだ。
自分が気に入ってない文章でも、
「いいね」をくれた方に対しては当然「ありがとう」の気持ちはある。
とにもかくにも、
「ですます調」と読み手を意識した文章がどうにも「私」っぽくないのだ。
「こんなのつまんないし嫌だー!!書き直しだー!!」
と、私の心の奥から叫び声。
そういう話を今日は師匠に話した。
それに加えて、
最近考えてる「人との繋がりについて」、
自分がよく分からないところを吐き出した。
あちこちに話が飛びながら私は長々と話した。
それから師匠は言った。
「これは簡単なことで、
ちはるさんは人と繋がることを考えなくてよくて、
自分の主観に深く潜っていけばいい。
突き抜けて主観をいけば客観に繋がっていくから。
客観に繋がっていくということすら考えなくてもいい」
これ!
何年か前に文章を書き始めた時から、
自分の考えや感情など、内面的なことをずっと書いていて、
それが楽しくてしょうがなかった。
突き抜けて主観を書くことをひたすらやっていたのだ。
ただ、自分に向けて書いたものでも、
書いたものは誰かに読んで欲しいと思っている。
だけど相手に向けた文章しか人に届かないわけじゃない。
100%自分中心で自分のことを書いていても、
読んだ方から
「とても良い気づきになった」
「思わず泣いた」
「これって私のことみたい」
など感想をもらったことがあるのがその証明。
だから、外に向けて語りかけなくても大丈夫なのだ。
誰かに向けて語りかけるより、
ひたすら自分語りで内に内に入っていくようなのが私は好きなんだもん。
陰キャで鬱々とした雰囲気の自分の文章が「私」っぽい。
しかも、
外に向けて書く前提だと、自分に深く深く入っていけないから結局内容も浅くなるんじゃないか。
全然いいことない。
書いたからには誰かに読んで欲しいなと思うけど、
たくさんの人に読んでもらうために自分らしさを曲げたり、
自分が気に入ってない表現をするのは絶対に違うと改めて思った。
昔、飛び込みの営業の仕事を一瞬だけやったことがある。
その時に「自分が良いと思っていないもの」を訪問して人に勧めるのが苦痛でしかなかった。
自分が良いと思ってない文章を投稿するのって
その営業と同じようなことだ。
もうやらないでおこう。
このnoteを始めた時点の自分がかなり自分の中心からずれてたので、
自己紹介からやり直しかな〜。
今後、自分の文章表現がどうなっていくかは分からない。
もしかしたら「ですます調」でも違和感なく書けるようになるかもしれないし。
今はただ、自分が自信持って「好き!」って思えるように書いていこう。
それから人に届けたら良いだけだ。
それにしても、
このくらいのこと師匠に言われなくても気づいて思い出したかったな。
悔しい。