「誰も知らない取材ノート」〔序章5〕
中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。
それから一週間経っても、大義くんのことは頭から離れませんでした。こんなことは初めてです。いつもなら日々の仕事に忙殺されて一週間前に読んだ新聞記事のことなど忘れてしまう私です。大義くんのことだけは、どうしても心に引っかかるものがありました。大義くんのことを知らなければならないような気がしていました。知ってどうするんだろう、とも思うのですが、心は何かしなければ、動かなければと思い続けていました。そんな折にA氏にお会いする機会があり、大義くんの記事にとても興味を持っていることをお話しました。A氏は、私の心の中のモヤモヤしたものを、一気に解決するような案をくださいました。
「書いてみたら?」
驚きました。そうか、と思いました。大義くんのことを取材して、本に書いてみたらどうかと提案してくださったのです。それまではまったく考えつかなかった案でした。自分の職業は書く仕事だというのに、その発想はなかったのです。私はノンフィクション作品を書いたことはありません。架空の人物、架空の設定、架空のストーリーの中で、想像だけを頼りに物語を紡いでいくことには慣れていましたが。もちろん、人物設定上でのリサーチなどで取材することはありました。が、実在の人を取材してそのまま書く、ということはやったことがありません。だから、A氏から提案をされた時も「そうか!」と思ってからすぐに「できるかな?」という気持ちが湧きました。取材の仕方すら分かりません。どうやったら関係者に会うことができるのかも分かりませんでした。それに大義くんが亡くなって、ご家族は深く心を痛めているでしょう。前途ある息子さんを失ったご両親の気持ちを考えると、いきなり「取材です」なんて言えません。まだ亡くなってから三ヶ月しか経っていないことも私を躊躇させました。もし私がご両親の立場なら、門前払いをしてしまうかもしれません。
A氏に相談してみよう、と思いました。テレビドラマを多く演出していらっしゃるA氏は、ノンフィクション作品のドラマ化を手掛けたこともあります。ドキュメンタリーにも精通していらっしゃるので、きっと良いアドバイスをくださると思いました。そこで、数日後にお仕事の席でお会いしたA氏に正直に聞いてみました。
「どうしたらいいでしょうか」
するとA氏は、適格に答えを出してくださいました。
「最初にご家族ではなく、ご家族の次に親しかった人にコンタクトを取りなさい。今、お話を聞く上でおそらく一番良いと思われるのは、市船の高橋先生だと思う」
そう仰ってA氏が勧めたのが、市立船橋高校の高橋健一先生にお会いすることでした。前述したように、大義くんの恩師であろう先生です。確かにそれが一番良いと思えました。新聞の記事からすると、高橋先生の指導で『市船soul』は完成し、演奏されるようになったようですし、大義くんの高校生活を一番よくご存じに違いありません。告別式の映像の中で、「大義が作った曲だ。いくぞ!」と声をあげていた先生の姿を思い返しました。泣きながら指揮をしていた先生。先生だって、大義くんを失った傷は深いと思います。でもこの先生なら、見ず知らずの私がお話をしても差し支えがないのではないかと思えました。「やってみます」とA氏に礼を言いました。
(続く)
中井由梨子(作家・脚本家・演出家・女優)
代表作『20歳のソウル』(小学館/幻冬舎文庫)
映画化決定!2022年全国公開
出演:神尾楓樹/佐藤浩市
取材を初めて4年。
大義くんが愛した「市船吹奏楽部」はコロナの感染拡大で、苦難の時に立たされています。今年3月に行われた映画のロケでは、部員の皆さん総出で出演・協力してくださいました。顧問の高橋健一先生の熱い想いとともに、部員の皆さんのひたむきさ、音楽を愛する心、市船を愛する心がひしひしと伝わってくる撮影でした。皆さんに恩返しするためにもそして皆さんに出会わせてくれた大義くんに喜んでもらうためにも来年の映画公開に向け、少しでも多くの皆さまに、「市船吹奏楽部」を知ってほしい。私が『20歳のソウル』の前に書いていた取材ノートを公開します。これは、ごく一部の出版関係者の方にしかお見せしていませんでしたが、取材当時の様子が鮮明に描かれた記録です。私自身のことも多く書いてあり、少し恥ずかしいところもありますが、私と大義くんとの出会いを追体験していただけたら幸いです。
皆さまのお心に「市船soul」が鳴り響きますように。大義くんからの「生ききれ!」というメッセージが届きますように。
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