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さくら

「さくら」と書くと柔らかさが伝わるようでなんとなく気に入っている。あのふんわりとした柔らかな花弁を集めて雨のように降らせたい。
蕾が出て、大きく膨らみ、花が咲き誇り、そして散る。しばしば、桜花の一生は、ひとの一生に喩えられる。なんて儚いんだろう。「さくら」を手に取ると、毎年そんなことを思う。私たちの人生は、あの薄い桃色の花弁ほどの厚みしかないのだろうか。愛情も恋慕も、あの薄さに折り畳まれてる。きっと、「好き」という言葉は1ミリメートルにも満たない薄っぺらさなのかもしれない。貴方が言うように。
来年もまた、桜が咲き誇り、そして散っていくのだろう。なんとなく悠久さを感じさせる。対して、毎年散りゆき、通行人に乱雑に踏まれ、泥濘に浸かる桜を見ると、無力さを感じる。

閑話休題。

最近あたたくなってきた。また暑くなるのだろう。雪解けなんて時期は過ぎて、この心地よさもあっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。
多忙の中に身を沈めて生きているけど、自然を眺めて、こうやって言葉を綴ると、時間はゆったりと流れてるように感じる。貴女と過ごしていたら、そうやって時間もゆったりと流れているのかな、と夢想してみる。
お誕生日を直接祝われることはあんまりなかった。小学校の頃はインターネットなんてなかったし、春休みで年度変わりの時期だったから、当日にお祝いが届くことは珍しかった。あまり人と関係を築くことが苦手だから、そういう経験があんまりない。なんとなく嬉しかった。


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