強迫的情念に身を任せながら
タイトルは『強迫観念駆動人生に愛を込めて』に感化されています.自分のお気持ち文です.
以下,本題.今回は,ラフな口調で書いてます.自動記述のつもりです.
毎日,人生を無駄にしているような気がする.
自己弁護が見苦しいのは承知だが,自分だって毎日論文読んだり,コードを書いたり,新しい知見であったり技術を積極的に取り入れようと努力している.でも,どうやってもすごい人たちには追い付けない.なので,きっと何かしら自分は無駄が多いんだろうなと思う.
じゃあその無駄を減らすにはどうしたらいいんだろう.バイトはもう今月で止める.扶養と時間の関係.友達と話す時間は,精神の療養のために必要.昔,孤独感で死にたくなったことがあるから.恋愛事はいまはしてないし,ゲームもまったくしない.強いていうなら,SNSかな.でも,たいていが論文だし,みたいな.
じゃあお前の頭が悪いんじゃない?効率とかじゃなくて、単純にスペックが足りないんじゃない?
もしそうだったとしても,他人から言われたら口答えしちゃうだろうな……それか大泣き.
理想の人生とは何だろうと夢想する.バチバチの結果出してD進?それとも,クリエイティビティ溢れるエンジニア?どちらも先は遠そうだ.目先のことさえまともにできないやつが将来なんて語るんじゃない,と肩の上の小人が言う.
強い人は毎日努力しているし(毎日努力できるから強いやつなんだろうけど)そうでない自分との対比に苦しむ.
プログラムに関しては,ボロが出るなどの次元じゃないので,実力を盛ることは少ないのだが,周りに数学や物理をやる人がいないのをいいことにイキりちらかしている自分がいる.そういうとき,決まって後付的にギャップを埋めようとしてしまう.あぁ強迫観念駆動の人生を歩んでいるんだろうな,と感じてしまった.愛を込めて.
結局のところ,ワナビーでしかない自分が本当に嫌いになるときがある.
SNSをやっていると,世の中の上澄みの中の上澄みが目に入るものだから,エコ―チェンバーによって苦しめられる.かといってやめられない.だって,彼らは私の憧憬であり,人生を駆動させるためのエネルギーなのだから.
私のアイデンティティはどこにあるんだろう.小さいころから,知的好奇心を満たすもの,自分の世界を押し広げくれるものが好きだった.英語やフランス語やドイツ語を勉強したのは,そんなところからだった.ナイーブな思想だけども,きっと読めるものが広がって,まだ知らない人といつか話せるんだろうなと考えていた.いまは,理学の世界が好きだ.世界の隅々まで見ることのできるレンズを求めているのかもしれない.難しいけれど.
愛を込めて,4646
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