ぬるまな季節
ふとした時に、人肌恋しくなる。そんな季節がやってきたような気がする。気がする、というのは、季節の変わり目の曖昧な時期であるから。
夜は冷える。底冷える空気が漂い、むしろ頭脳労働に疲れた身には心地よいほどである。ただ、もう半袖でいるには少し難しくなった。衣替えの季節になった。やや煩わしい。
友人の宅に、昨晩立ち寄った。家の中は少し雑多としていたが、それが郷愁を感じさせるようだった。田舎の祖父母宅を想起していただければよいと思う。進められるがままに、ビーズクッションにもたれ掛かりながら、Netflixを見ながら駄弁っていた。もう少しすると、目の前のテーブルがこたつになることを教えてくれた。次来る頃にはみかんを持ってこようと伝えた。そこには家が持つ本来的な温かさが見え隠れしていた。
帰り道。少し高台にあるので、坂の下を見ると夜景が広がっている。ただし、田舎なので夜空の方がむしろ明るい。星々が輝くのを見ながら、星座を尋ねられた。私は知識がなかったので、答えられなかった。次に会うときまで勉強しておこうと思った。こういうのは異性同士でするような会話なんだろうけど、なんとなく嬉しかった。
自宅に着くと孤独感に包まれる。そこには温かさはない。変なぬるい気温と、放置された家事が発する嫌な匂いでいっぱいである。全くもって苦しい。私も嫌で嫌で放置しているのではなく、どうしてもそこまで手が回らない。
自分の身の回りのことすら危ういからして、指導教員は私を気にかけてくれる。級友や先輩後輩も、なんだかんだ私を助けてくれる。私は恵まれてる。学校の中にも温かさがあるように感じる。
すべての場所に温かさがあれば、もう少し幸福感に包まれて生きていられる気がする。それを作るのは自分自身である。
ここからはメモ書き。
人と人との結びつきに温度で比喩するのは面白いと思う。その間を流れる空気を感じ取り、そこに心地よさを評価する。温かさは、生命本来の維持機能や、原初の火の体験が遺伝子に刻み込まれることで、心地よいと直感するのかもしれない。
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