自己嫌悪という時限爆弾
自我――アイデンティティは青年期に確立されなければいけない.そうでなければ,ひどく不安定な塩梅で積まれた積木のような人生を送ることになるので,自我が消える恐怖とともに日常を過ごすことになる.
私の中ですくすくと肥大した自己嫌悪は,いまや私自身を喰らいつくすほどである.
最近,周囲の環境から圧えつけられているようなきがする.別段,意図的に圧えつけるというより,恣意的に振る舞っているだけのようである.ただ,結果的に私の自己肯定感は,押し潰され,どろどろと変容し,自己嫌悪へと姿を変えてしまった.
自己嫌悪は,自己の行動を常に否定的に見做すので,不公平な審判によって進行する試合のような人生で過ごすことになる.負の自己評価は,負のフィードバックの循環を生み出し,すくすくと育ち続け,自己に対する攻撃性を増加させ,ついに自我を崩壊させるに至る.それは線形な増加というより,指数的な増加である.側から見ていたら,閾値を超えた瞬間に爆発四散する恐ろしい時限爆弾のようである.
私はいま,そんな恐ろしい爆弾を抱えながら生きている.そして,前述の通り,私は着実に爆発時刻へ針を漸進させている.
針が進む音を聞いていると,自己嫌悪を減退させる術を千思万考,審念熟慮するが,結論は出ない.ただ,自己崩壊に対して想像以上に落ち着いているような気がする.離人的というほどにないにしろ,俯瞰的な視点から自己を見つめている.善きことかと問われれば,悪しきことかもしれないが,その実はわからない.ただし,さっさとその術を見つけなければいけない.
ここで私の中で強迫観念が形成された.沸る焦燥感が早急に努力を結実せよと訴えかけるのだ.このような強迫観念駆動な人生は持続可能ではない.常に自己に対して目標と期限と強力な罰則を設定する走り方は,成功か失敗かの二値的な分類境界を敷くことしかできず,また成功による報酬に対する失敗による罰則が重すぎる.その非対称性は攻撃性と等価である.したがって,時限爆弾を爆発させるに至る.
きちんとした時期に,というと良く定義するのが難しいが,自我を確立させるのはこのような恐怖的な人生を過ごさない防護策である.自我が確立されれば,他者からの抑圧に対しても柔軟な対応をすることができるし,あるいは跳ね返すことすらできる.多くの人間はこのようにして上手く生き抜いているように見える.
あるいは有効な策として,他者に依存的になることで,確立された自我を拝借し,あたかも自分の建築物かのように振る舞うことである.すると,他者からの抑圧によって潰されたとしても回避可能だし,また別の人間に寄生すればよい.
いづれにせよ,失敗してしまった私のような大人になるのは勧めない.苦しいだけである.
愛を込めて,4646
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