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突きつけられる銃口,38口径

人の目が怖い.街行く人が,ぎろりと視線を向ける度に,頭の中を覗かれているような気がする.自分の一挙手一投足がじろりと見つめられる瞬間が恐ろしい.

これはなにも現実世界に限ったことではない.SNSでもまったく同様で,私が何か発信した内容がすべて誰かに覗かれているような気がする.

この他者の眼差しは,さながら突きつけられる銃口である.38口径.警察権力の特権的象徴である暴力装置と同義である.私という人間存在は,内的な自我同一性によって規定される精神的存在性に本質があり,と同時に外延的な身体性に依拠する.銃弾は肉を剔り,鮮血を散らし,物理存在としての私に死を齎すが,他者の視線は精神存在としての私に崩壊を齎す.

フォロワー数は銃口の数で,他者の言葉は弾丸である.言葉というより厳密には記号である.身振り手振りなどの動作的に意味伝達を行う記号,地位や文脈など静的に意味伝達を行う記号.全部が全部,弾丸である.当然外れることもあるが,一度突き刺されば死に追いやられる可能性がある.

とすると,他人の距離を限りなく遠ざけるのが良いのだろうか.や,それは正解ではないような気がする.

ただし,これは私視点の話であって,当然,他者から見れば,私の目線は銃口で,私という存在は,十分な加害性のある記号を放つ暴力装置である.

私が他者からの視線を受けるということは,他者から知覚されるということで,その近くに依って私の存在性が他者の内部に折り畳まれる.その内的表象によって描写されるのが苦しい.そこには無数の意味付けが存在し,他の存在との差異の体系の中に埋まられる.埋め込む先を知ることはできない.できるのは,表出した記号群から推論することのみである.

ただ,依存癖は抜けない.今日も銃口に迎えられる.世界おはよう.

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