今夜もご自愛ください。
「愛されずに育ったからそんな性格になっちゃったんだね。可哀想に」は、どうにも否定しきれないような悪口。たしか言われたときは中学生だった気がする。いやに殺傷能力が高い。あとは気を許した友達にだけ教えたはずの黒歴史量産アカウントに、ご丁寧に「ばり」なんて汚ったない方言を引っ提げて綴られた短い悪口。そっちは誰だか分かんないけど、同じような時期。正直、傷つけられた体験ばかりが鮮明で、「自分」をあんまり覚えていない。けど、まあ。そう言わしめるだけの性悪さがあったんだと思う。いまよりもずっと。狂っていないと、とてもじゃないけど生きていられなかった。未熟だったのかな。
べつにこれに限った話ではない。わたしは一体どうやって生きてきたんだろうかと、振り返ってみては首を傾げてみるばかり。ブラッシュ・アップ・ライフの機会が回ってきたとて、上手くやれないどころか、ギリギリのところで落っこちてきたラッキーが、今度は掴み損ねて即ゲームオーバーになる予感だけは一丁前。ドラマチックに言えば波乱万丈っぽい人生です。……うむ。わたしが太宰ならそういうかな。恥もそれなりに多くあるけど、尋常じゃない数の自分じゃあどうにもならないこと、に耐え忍ぶ時間の方が、まだ多くの割合を占めている。ままならなかったで済ませるつもりがないと、口先で言ってみて失笑。心の内に留めておけない気概に、どれだけの本当があるのだか。わたしに限った話で言えば、あんまり無いようにも思う。思考を、言葉を外に出した時点で承認欲求に雁字搦め。良いとか、悪いとか。そういう次元の話ではなくて、承認されやすい「わたし」を言葉で飾る。その気概は、食べられる程度の醜さと、それをも凌駕する軽やかさがある。きっと。こう書くことによって、赤裸々な自分を見せる。自己保身。……、…………以下、無限ループ。
そういう暗い話がしたいわけではなくて。いまは人生がそれなりに楽しい。さほど死にたいと思わなくなった。沈む時は沈むけど、浮かび上がり方を知っているような気がしている。底のまた一段も、二弾も深いところにいたはずだった。いつの間にか、ふつうに楽しいところで惰眠を貪っていたし。概ねどころかすごく幸せ。ちゃんと不幸じゃないなってら思える自分がいるんだな。上京、してみるもんだな。この三年間は絶不調スタートから、精神科通院からのお薬もぐもぐ生活を経て、なんかIQがグレーっぽい数値しかないことが分かっちゃったり、紆余曲折を経てハッピーに。マジです。先生、俺生きたいんすよ。
多難だと思う。これから先も。どうやら若いうちの心療内科?精神科?通いというのは死亡保険に入れないとか。なんとか。でもわたしは家庭を持たない満々(持てない、諦めもまた。)だからセーフだったね。耐えた。いまんとこは。家庭を持ちたくなったときにひっそりと詰んじゃったりするかもしれないけど、そんな不確定で分かんないばかりのことにちっこい脳みそ使ってらんないです。考え始めたらダメなんですよ。ちょっと口開けば、あーこいつってマジで可愛くないんだってバレる。そやけど値踏みすんのやめなね、そっちもね。バトルに発展して、派手に負けて退散。結構アンラッキーの中のミニマムハッピーに恵まれるだけで、負け癖がめちゃくちゃついているからね。
ひたすらに戦わないように、理性を働かす。そういう生き方を、見つけたかもしれない。のらりくらりだし、「これがまた何考えてるか分かんないねw」に、繋がっちゃうことだって往々にしてある話。威圧も悪意も、ひとたび向けられれば凍りついてしまう。うまく悲しめなかった頃の――幼き日のわたしが、わたしを見つめてひっそりと落胆している。正解じゃないかもしれないけど、苦しさはほとんどない。それでいいじゃん、ね。少なくとも、いまはそれがいい。