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パクリにはあってサンプリングにないのはリスペクトだけ

ごきげんよう、Gussanです。

今日の雑記noteは、パクリとサンプリングの違いです。そして、その違いはリスペクトの有無だけです、という話です。

もう結論は抑えたので、終えてもいいんですが、短すぎるとTwitterでいいじゃんともなるので少し続けます。

このリスペクトとは具体的に何かということを深ぼっていきます。

これも早速、結論を言うとリスペクトというのは誠実であることです。誠実でないことをすると、人はパクリであると言います。

この誠実というのはコンテンツによって差異はあるかもしれませんが重要なのは、クレジットの表記の1点かなと考えています。

クレジットの表記は、コンテンツの引用元の表記があるかということです。
クレジットの表記さえあれば、比較的多くのことが許される気がしています。

例えば、僕のカラオケの十八番に森山直太郎のさくらがあります。これをyoutubeにアップした際に「森山直太朗 さくら covered by Gussan」と表記せずに「Gussan さくら」と書いたら動画を開いた人は「は?」となって離脱すると思いますし、なんでこいつ自分の歌みたいに歌ってんだ、となると思います。

コンテンツに対する不誠実さというのは、さも自分のものであるかのように見える振る舞いそのものです。

ただ、もちろんクレジットの表記がなくても良い場合もあり、ラップのサンプリングはサンプリングという行為そのものがリスペクトフルであるし、その曲を聴いている人がそのカルチャーを受け止めているので問題はありません。

もう一点あるとすれば、コンテンツに対する態度です。

このコンテンツに対する態度というものの最たる例が「歌ってみた」というコンテンツです。自分の曲ではないけど歌ってみたという姿勢があくまで本物の存在を立てているように見えます。

先ほどのラップはこのコンテンツに対する態度がカルチャーになっているとも言えます。




逆になぜクレジットがあれば、ある程度許されるのかを考えてみましょう。

まず前提としてはコンテンツそのものが大きなエコシステムです。
コンテンツは0→1で生まれているように見えてそんなことはありません。
常に何かの引用やインスパイアや組み合わせによって生み出されているものです。

なので特定のコンテンツが複合的であるが故に参照元が多く、0→1であるように見えますし、それは作者自身も見えなくなることがあります。
一方で、派生コンテンツはそのコンテンツの参照元がかなりわかりやすくなっており、誰でも気づきますし、作者も意識しています。

クレジットを隠す行為というのはその意識を隠し、自分すらも騙そうとしているからです。

コンテンツそのものが大きなエコシステム

クレジットがあれば許される一例に僕の好きなNFTプロジェクトであるHomageがあります。

https://ethereumnavi.com/2023/03/11/what-is-homage/

以前Wrap NFTの可能性に触れた時にも書いたプロジェクトです。

https://note.com/0xguss3/n/n1ddd983662ce

よくBAYCの見た目をしたNFTがエアドロされていて、それがスキャムだったみたいなことがありますが、あれはパクリというか不誠実ですね。リスペクトフルじゃありません。

一方でHomageは「BAYCのオマージュ(Homage)です!」ということを高らかに宣言します。こうするとなぜかユーザーは許してくれます。世の中のあらゆるグッズでもこの現象は起きていますし、Homageは、そのHomageされたNFTをmintするのにかかる費用の一部を元のNFTのクリエイターに還元します。ちなみに、これがクリエイターロイヤリティの新しい形として期待しています。

とにかく、パクリと言われたくなければ、コンテンツに対して誠実な行為を取ればいいというだけです。その行為の一つにクレジットの表記というのを挙げただけなのでそれ以外にあれば教えてください。

Twitter:0xguss3


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