流行り
流行りは空虚。
最近とても悪い予感がする。
数年前からTikTokが流行っている。このアプリでの流行りは光の速度で移り変わっていく、何が流行る要因なのか私はよくわかっていないけど、でも多分あれはなんとなくノれるかノれないかだ。ノリに乗れないやつは取捨選別で捨てられていくだからあの世界ではノリのいいやつしかいないのだ。ノリの定義なんてあやふやだからわかっていなくてもわかった顔をしていないと生きていけないのだ。
音楽は画面に映る自分を可愛く見せるフィルターにしかすぎないしもうこの世界じゃロックスターなんて生まれない。今セックス・ピストルズが出てきたらDQNだって叩かれて今ニルバーナが出てきたらただのクソメンヘラだって叩かれてしまうに違いない。そもそも今の子はテレビなんかもう見ないし、芸人さんのギャグとかを教室で披露しても全員に伝わんないかもだし、将来老人ホームにぶち込まれたってみんなそれぞれ違う曲を歌うに違いない。サブスク制が当たり前になってきて人それぞれ見るものを自分で選択できるようになってしまってみんながみんな共通して見るコンテンツはどんどんなくなってしまった。だからTikTokとかの空虚な流行りをみんなの共通認識にするしかなくなっているのかもしれない。でもそれだって全く見ない世界線の人もいるのだけれど最近はどのコンテンツにも同じような文化が根付いてきて同じ消費のされ方をしている。
本当に今インターネットと現実の境目はなくなって、フォロワーの数とかいいねの数が自分の価値だと本気で思う人が増えているんだ。でもそれは決してくだらないことなんかじゃなくて実際にそのくらいの威力があるし、その勢いは現実を越して潰してしまうことだってあるんだよ。
現代人は社会で生きていくことに、日々現実と向き合うことに疲れ果てて脳死することで脳を休ませているのかもしれない。感情が揺れ動くのにさえ疲れてしまって二時間の映画を見ることもできないし、本当に良い映画を見たら感情のキャパシティをゆうに超えて死んでしまうのかもしれない。
何も面白くない海外のよくわからないネタ系のショート動画をただぼーっと眺めてしまうのもそのせいだ。冷静に見ると何も面白くないしそもそも意味がわからないものばかりだけれどそれもそのせいだ。
面白くないとよく言われているのに人気があるのはきっと本当は面白くないからだ。本当に面白いものを毎日見続けていたら現代人は疲れて果てて死んでしまう。
絵画より、よくわからないカップルのドッキリ動画とかの方がどうせバズるし世界はつまらないと感じているのは単に感受性が死んでいっただけだったのだ。
でもなんとなく心地が良いのだ。これがノれる、という感覚なのかもしれない。だから今の時代にノれないやつは存在を殺されていくし、メッセージ性とかも自分なりのロマンチックとか見つけても「なんかもうちょっと現実見なよ」って笑われてしまうんだ。そう言うのがきっとエンタメだけれど全部がそれに集約されていくのが寂しいんだよ私は。