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1-2-2-1 笑えガイア、ゲラゲラ笑え(1)

ダンサーが首に巻くニシキヘビはロボット。
「本物のヘビなんて高くて買えない」
ダンサーも人間ではない。皮膚はもちろん、骨格や内臓も備えた限りなく人間に近いロボットだ。生殖もできる。
核戦争後のどんよりとした雲に覆われ、雨が降り続く世界。日光はなく、昆虫を養殖してタンパク源を確保する。
移動体は、自家用車も装甲車も空中を浮遊して走行する。人々が恋焦がれた技術だ。
~ブレード・ランナー2049より~
西洋的ディストピア(暗黒郷)が我々の未来でよいのだろうか。
30年前に公開され、2015年の世界を描いたスポーツカー型タイムマシンの映画はヴァーチャル・リアリティーを中心としておおむね予想どおりだったとされている。
技術者としてさまざまな思索を巡らせた二十世紀マサチューセッツに生きたバックミンスター・フラーは地球を「宇宙船地球号」とたとえた。フラー曰く「高度に設計され操作マニュアルなしでも人類の生命を200万年にわたって維持し続けてきた我らが宇宙船地球号」と。宇宙船地球号は乗客が規定数を超し、難破寸前となっている。宇宙船地球号の修復は間に合うか。
われわれは、どんな未来になってほしいのか。
コンピューターの進歩は人間の知能がAIに勝てなくなる世界を予想させている。現実に、チェス、将棋、囲碁までもがコンピューター優位を達成してしまった。
すでに馬に乗れる人は少ない。100年前は誰で乗れたのに。自動運転が広まれば、運転も急速に忘れ去られてしまうだろう。乗馬クラブのように、サーキットに行かなくては自動車を運転できない日もいずれ訪れる。
いずれ、論文を検索したり、レポートをまとめるような人間がやると大量の時間と間違いを犯してしまう行為はコンピューターにとってかわられるだろう。すでに医療の診断は医師よりもコンピューターの方が確度が高くなっている。
都市への過剰な集中はなくなるべきだ。我々の未来は自然に近いところで生活し、自然を傷めない世界だ。競争よりも共生、より精神的な充実感がある未来であってほしい。それは禁欲的な精神世界の追及でもない。むしろ、ばかばかしさにかこまれた日常だ。お笑いの世界と自然共生の世界が両立できるのがいい、博徒の聖地ベガスや性都パタヤ、魔窟東莞のような猥雑さも根源的に必要だ。
都市の便利さ、快適さを追求するだけでは人も地球も疲れ果ててしまう。進歩しない力、合理的でない力、たとえば、ばかばかしくて力がぬけるお笑いのような力が必要だ。地球が生命体なら笑いが必要だ。笑えガイア、ゲラゲラ笑え。

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