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自分の人生は自分でしか彩れない

とっても当たり前のことなのですが、自分が生きられるのは、自分の人生しかない。

同じように、どれだけ周りの「誰か」の人生を気にしても、その「誰か」の人生はその人にしか生きられない。
気になる、その「誰か」の人生は、最終的にはその人がどうにかしていくしかない。

「誰か」の生き様のことで心を病んでしまったり、あれこれ考えて苦しさや不満を感じていても、自分の人生が善き道に進めるわけではない。

そんなふうに考えております。

でも、時に人は、「誰か」のことで、自分しか生きられない自分の人生の時間を注ぎ込み苦しむもの。

恋人にしたいあの人、すでに付き合ったり結婚しているパートナー、自分が期待する子ども、自分の親や兄弟、推しの芸能人、納得いかない政治をする政治家などなど…。

もちろん、その「誰か」にある程度の影響を及ぼすことはできるでしょう。
自分なりの考えを伝えたり「こうするべきでは」とアドバイスしたり。
もしくは「なんでこうしないのか」と不満を述べたり。

でも、逆の立場を想像してみたら、いかがでしょうか。

自分の生き様について、「こうするべき」とか「なぜこうしないのか」と伝えられたら。もしくは「(そんな状態で)大丈夫なの?」など。

「知らんがな!私の人生の、いったい何を知っているのさ?大丈夫だよ!」と腹立たしさも感じるかもしれません。

パートナーや子どもや親など、どれだけ近くで一緒に過ごしている人であっても、その人のアタマの中は覗けませんし、その人の心をコピペして自分も味わうことなどできません。

心理学者のフロイトさんが言うには、「気になる誰か」について、あれこれコメントしたくなったり、時に「なんでこうしないのか」「思うとおりでない」と心配したり腹立たしさを感じるのは「投射とうしゃ」という現象だそうです。

本当に気になっているのは「誰かの思うとおりでない様」ではなくて、実は自分自身の思うとおりでない様」で、それを無自覚のうちに相手に「うつす」ことで、自分は大丈夫と安心しようとしてしまっている。そんな状態と語られてます。

そして、これは、誰しもできれば苦しみたくない防衛本能のようです。
なので、恥じることでもなく、自信を失うことでもなく「自然なこと」かもしれません。

でも、繰り返しですが、いくら「誰か」についてあれこれコメントしたり、批判したり、考えてあげたりしても、最後はその相手が自分の人生を選択していきていくしかない。そして、それをしても、自分の人生が善き道に進むワケではない。

だとしたら、まずは自分が、自分の人生に対して、あれこれ気に病まなくていいように、向き合っていくべきなのではないでしょうか。

自分に自信をもって、迷いが少く進めるように、自身の生き方を磨いていく。心を育てていく。
それが、自分しか生きられない自分の人生を、彩り、たのしきものにしてくに大切なのではないでしょうか。

そんなふうに感じております。

さて、様々なご相談の中で一番多いのは、ひきこもりなどで苦しむお子さんについての親御さんからのご相談です。

悲しい現実として、少子化の日本において、ひきこもりや不登校のお子さんの絶対数は増え続けているデータがあります。

自分の師匠である佐々井上人は、お子さんで悩む親御さんからのご相談に対しては
「どっしり構えて笑っていなさい」とおっしゃいます。

僕も、佐々井上人からの学びを元に、同様の趣旨をお伝えさせて頂いております。

残酷ではありますが、お子さんの人生を生きるのは、そのお子さんでしかない。
もちろん、年端がゆかないうちは、「生き延びる」ために、衣食住を支えてあげたり、知恵を授けてあげたりしなくてはいけない。
でも、どこかで「一人で歩んでいく苦しさや難しさ」の筋トレをしていってもらわないといけない。
多くのケースにおいて、先に人生を旅立つのは親の方で、どこかで子どもは自分の力で生き延びなければいけないのだから。

子どもだって、ある年齢になれば、その事実をどこかで気がついているかもしれません。
なんとか自分でしていかなきゃいけない。でも、その現実に立ち向かう勇気がなかなか沸かない。自分を立ち上がらせる自信がどうしても湧いてこない。
まだ人生経験がすくなく、成功体験がすくないお子さんだからこそ、そんな時だってあるものでしょう。


でも、そんな状況で、自分の親が心を病んでいたらどうでしょうか。
「ぼく/わたしのせいで、大切な親まで苦しませているのかも」とさらに自信を失うかもしれません。
一人で茨の道の人生に立ち向かう勇気の灯火は育たないかもしれません。

お子さんだって、苦しいのでしょう。何が苦しい原因かも分からないかもしれません。
心の経験値が少ないお子さんのほうが、より苦しいかもしれないのです。
親の立場だからこその苦しさはあるかもしれませんが、親が「どうしよう…」「苦しい…」と子どもにばかり気を病んで、ご自身がしっかり前を向いて進んであげなくては、なかなか、お子さんだって勇気を育てられないかもしれない。

だから、時に泣きながらでも「ガハハ!」と笑って、やぶれかぶれでもよいので、どっしり構えられるよう、自身を鍛える。

そうすれば、「あぁ、笑ってもいいんだ。生きるって、泣いて悲しんでばかりじゃないんだ。」と少しはお子さんに自信を与えてあげられるかもしれない。

そんな想いとともに「どっしり構えて、笑って」とお伝えさせて頂いております。


さて、親子のお話に少し寄ってしまいましたが、これはどんな人間関係でも同じかもしれません。

気になる誰かにあれこれ悩むより、まずは、自分がどっしり構えて笑えられるよう、心を鍛える。笑えるような生き方をしていく。
そうすれば、周りにいる、その「気になる誰か」にも、勇気の灯火が伝わるかもしれません。

「あぁ、あの人、なんだか楽しそうに生きているなぁ」と伝わるほうが
「なんだか苦しそうに生きているなぁ」と見える人より、近づきやすく、善き関係を築きやすいものかもしれません。

そして、コチラからは何も伝えて無くても、「あの人みたいに笑って生きられるよう、自分も頑張らなきゃ」と、勝手に善き道へ進むきっかけとなれているかもしれません。
「あなた、こういう生き方したほうがいい」というアドバイスより、よっぽど、その「誰か」にとっても、自分にとっても良い結果が生まれるかもしれません。

いろいろ周りの人の生き様も気になる時もありますが、まずは自分が自分の人生をしっかりと生きていく。
迷いが少く、自信をもって、そして笑えるような生き様を育てていく。
そう感じられる心を育てていく。

そのためには、日々の小さき努力を重ねていく。
ささやかな挨拶を気持ちよくしていくことだって、そのちいさき努力になるかもしれません。
誰より速歩きで他人をかき分けて目的地にいち早く進んでいくより、すこしおだやかな心をもって「どうせ時間はほぼ変わらないのだし」と他人に道を譲ってあげられる心の余裕をもつことだって、そのちいさき努力になるかもしれません。
路上に落ちているゴミを拾ってみたり、デスクの整理を頼まれなくてもしてみたりすることだって、そのちいさき努力になるかもしれません。

そうして、自分でしか生きられない自分の人生を彩ってみることこそ、周りの気になる誰かの生き様も「自分にとって心地よい姿」に、勝手になっていくかもしれません。

自分への戒めをこめて、そんな戯言でした。

今日もお付き合いくださり、有難うございました。

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