やる気とは才能~京丹後ウルトラ~
レース振り返り
2022/9/18 京丹後ウルトラマラソン100kmに参加した。
自身初のウルトラマラソンで、エントリーした時点ではやる気に満ち溢れ、頑張るぞーとやる気十分だった。
道のりは甘くなかった。まず、7月に起こした故障が長引き、ジョギングを再開するまでにかなり時間を使ってしまった。また、8.9月は多忙を極め、とうとう最長26kmの練習しかできず、痛みをかろうじて抑えながら、スタートラインに立った。
ここまで出場を迷ったことは他にないかもしれない。
それでも走りたい理由があった。自分の「意志」を確かめるため。
ここで「忙しかったから」「コンディション不良」といった言い訳は正直いくらでも浮かんだ。
ここで走らないなら、その程度。生涯走り続けることなんて到底できない。
自らに、この先走る意思があるのかを問いたかった。
応援してくれる人や、会うたびに「練習できてる?」と声をかけてくれる人に「走り切れました」と報告したいという思いも相まって、スタートラインまで体を運んでくれた。
当日はかなり早い段階で痙攣と痛みが出てしまい、レースはグダグダ。何とかゴールするだけになったが、改めて自分の諦めの悪さを知ることができた。
60kmで救護の方に、これ以上痛みが出たらリタイアするようにと言われ、「はい」ではなく、「頑張ります」と咄嗟に答えてしまったあたり、往生際の悪さがうかがえる。(実際に危険もあるため、救護班の判断はちゃんと聞いた方がいいのだろうとは思う)
それでも、そこから補給をしっかり行い、ちゃんと気持ちを立て直せたことが完走に繋がったと思う。70km以降はもう完走しか見えなかった。絶対に届くと信じられた。そして届いた。
ゴールはどこか
この大会で、ハマったかどうかはわからないが、ウルトラには絶対にまた出たい。それは、いろんな方との出会いがあったからだ。
私は完走をゴールとし、目標タイムがあったが、ウルトラのゴールは本当に人それぞれだと分かった。
前日の飲食店で一緒に並んでいた人は13回目の出場で、完走できるようになったのは直近2回らしい。つまり10年間100kmのゴールにはたどり着けていないことになる。それでも挑戦し続けるメンタリティはただただ尊敬しかない。
その人にとってのゴールは必ずしも100km地点ではないのだ。
ゴールは自分が決める
今年は第一関門突破ずるぞ!
来年は第二関門突破するぞ!
これでオールオッケー。ゴールは自分で決められる。
ゴールしたいという意志さえあれば、何年かかっても必ず届く瞬間がある。
ここで出会った方のように完走まで11年かかったとしても、それは小さなゴール一つ一つの積み重ねなのである。
スタートラインに立つ瞬間も、ゴールテープもすべて自分の意志で変えられる。
スタートしたいと思えている時点で才能は十分備わっている。
あの日参加したランナーがそれぞれのゴールにたどり着いているといいなと思う。
リタイアしたとしてもそれは一つの物語の一章だ。
「バッドエンドはない。僕たちは途中だ」という又吉直樹さんの小説の一節を思い出した。
いつ体の痛みが消えるかはわからないが、また走りだそう。
今日も感謝しかない。
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