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だって人生って「いいね」が溢れてる方が読んで字の如く「いいね」って感じだし

夢といえば、何を思い浮かべるだろう。
眠っている時に見る夢だろうか、それとも将来就きたい職や姿や目標や願いの方の夢だろうか。
私は大体前者の方なのだが、見る夢見る夢大体悪夢という最悪の脚本家が脳みそに住み着いているのを自覚しているため、正夢になってしまわれては非常に困る事態に陥る。それに、今回の投稿企画の「叶えたい夢」というテーマにも合わないだろう。
一体何処の星に「車を運転中にふとバックミラーを見たら後部座席に口の裂けた化け物が座っており、それに気付いた瞬間それはもう驚いたがそれと同時に許可も無く私の車に化け物が乗り込んで居るという事実に異様に腹が立ったので、車を停車して化け物を引き摺り下ろし交通量の激しい道路の中央分離帯に化け物を置き去りにして車で走り去る夢」を正夢にしたいと願う人間が居るというのか。なんかもう、化け物が勝手に車に乗ってる時点で嫌だ。後部座席でも、助手席でもどっちみち嫌だ。なんか座面がぬるぬるしたり臭くなりそうだし…。

そんなわけで、今日は大人しく後者の方の夢について書こうと思う。最初から大人しく書けというのは野暮な話だ。エッセイは私による私のおしゃべりのフィールドだ。肝心の私が大人しくしていたらいつまでも白紙のままである。案外、それでも印刷して火で炙れば炙り出しの要領でめっちゃ喋ってるかもしれんけどな。な〜んつって、ガハハ!!

自ら出鼻を挫くどころか粉砕したところで、私の夢の話をしよう。
私の夢とは簡潔だ。この本を、今年一年かけて埋めることだ。


PRでもなんでもなく、私が個人的に気に入って購入した一冊だ。
本屋に行けば本棚にびっしりと並んでいそうな出立ちで、中身は日付だけ振られた白紙がそこにあるのみである。
2024年、SNSでたまたま見掛けて文房具ならノートでもペンでもシールでもなんでも好きな私の好きの直感に従って躊躇いもなく購入ボタンを押したのがこのノートとの出会いだった。
私が見掛けた投稿では日々作る食事のレシピブックとして使用していたようだが、私はこのノートをこれとはまた別に付けている日記の延長として日々濁流のように流れていく言葉の群れの中から見つけた「素敵だな・面白いな」と感じた言葉のメモとして使うことに決めた。
流石はマイブック、帯に堂々「自分の本」と印刷されているだけあってわたくし基準で選んだわたくしごとの極みを残すことに適している。

例としてこれから載せる画像は2024年のマイブックのものになるが、こんな感じだ。


自分だけの自分の本なのだから、余白を大幅に残してたった一言こんな言葉を記したっていい。この自由さと気軽さが気に入った。
他にも素敵な言葉やくすっと笑えるようなダジャレ、かと思えば思わず涙がこぼれてしまいそうになる映画の中の台詞や、タイムラインの波に揺られて私の波打ち際まで流れ着いた短歌など。とにかく私の中の「いいね」が読んで字の如くいいねと言ったものだけをこの本の中に集めた。
名前はマイブックなのに中に書いてあるものは私ではなく他人の言葉の群れという事実は矛盾するかもしれないが、「私の」いつでも手に取って読むことが出来る文庫の形のいいね欄と考えれば、確かにこれは私だけの私のマイブックと呼ぶにふさわしいだろう。

さて、では何故このマイブックを今年も一年かけて完成させるのが目的かと言えば、誰かの言葉や作品に出てくる台詞や言い回し。色んな言葉に今年も素直にいいねと感じたり、面白いと思ったり、感動する自分で在りたいと思ったからだ。
私のマイブックには私の私による選りすぐりのいいねが詰まっている。かの有名な作家の格言の日もあれば、マイナーな映画の中に出て来た痛快な一言の日もあって、SNSでたまたま見掛けたユーザーの渾身のダジャレの日もある。まだビデオの時代、テープが擦り切れるまで何度も観たドラえもんの映画の台詞だってある。自分の日記を読み返し、我ながらいいこと言ってんなと感心すれば自分の発言だって平然とそこに書き込む。
だってこれは、私の「いいね」だから。私がいいねと言えば、思えれば、対象は私にだってなり得るのだ。イエーア。


満身創痍だなぁ

私が元々手帳や日記やメモが趣味だからというのもあるが、このマイブックの活用はなかなか自分にとって心の健康になかなか役立ってくれた。
著者は私、読者私。映画になったとしても秒でエンドロールが終わる参加人数であるものの、流石他ならぬ私が私のために集めた言葉達なだけあっていつ読んでもいいと思えるしクスッと笑えるし気付きが得られる時もある。
昨今、大海賊時代ならぬ大SNS時代を生きていると、毎日必ず誰かしらの喧嘩や言葉の取っ組み合いを目にする。おすすめ欄にさえそういったやり取りが流れてきて、そんなものをおすすめしてくれるなよという思いでいっぱいになる日もある。
けれど、そんな中でもちゃんと素敵なものは素敵なまま煌めきを保ってタイムラインに流れ着く。流れてくるものが混沌としているからこそ稀にいいものが紛れ込んだ時に更にその良さを感じるようになったと表現すれば多少綺麗な言い回しになるかもしれないが、何処ぞの誰とも知らん人間同士の喧嘩より稀な良いものの度合いをもっと増やせという本音をどうにも上手く隠せない。

まぁ、それはさておくとして。マイブックにはその「稀」は今でも確かに、しっかり存在するということを忘れない備忘録としても私の役に立ってくれた。

何もSNSに限った話ではなく、普段何気なく暮らしているだけでも目と耳から色んな怖さややるせなさや時に怒りを感じるような話や報道を知ることが多い。その頻度が多ければ多いほどこの世の終わりのような気持ちになり、生きていたってもしかしたらこの先何一つ良いことなんて起こらないんじゃないかという思いが満タンに入ったプールに頭から突き落とされたような思いになる日も訪れるが、そんな感情にどっぷり頭から爪先まで浸かって抜け出せなくなってしまった夜に見つけた「幸せは黒色であれ鮮やかな不幸を全て塗り尽くすため」(作者 西村取想さん)という短歌に心を助けてもらった。
この絶望しやすい世の中に、このお先真っ暗と頭を抱えてしまうことばかり溢れかえる人生に、LEDのようにとはいかずともほんのり暗闇で光ってくれる言葉もまた幾つも幾つも溢れているのだろう。
その光を集め、集めれば集めるほど明日も生きてみようかと思えるかもしれないきっかけを綴り、マイブックに思わず書きたくなっちゃうような身近ないいねを探していたい。
2025年の大晦日、集めた言葉達を読み返しながらニヤニヤ笑ったり時に少し涙ぐんだり。しみじみとその「いいね」と感じたひとつひとつに敬意を払いながら、ココアでも飲んで「来年もどうにかやってみようか」と改めて思うこと。それが私の叶えたい夢である。


#かなえたい夢

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