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犬が更に老いた

この記事の続きかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。ひとつだけ言えること、それは「本犬は本日も元気に暮らしております」という揺るぎない事実であります。しかしながら、老犬にとっての3年という時の流れは人間とは比べものにならないほどの大きなものだから、今日はそれについて書こうと思う。

まず、最初に軽く自己紹介ならぬ犬紹介。実家に暮らしているマルチーズの女の子。年齢は17歳。人間にすればまさに華の女子高生の年齢だけど、犬は犬だからおばあちゃんとして日々のんびりと暮らしていらっしゃる。実家の全ての敷地は犬のものであり、人間は犬の敷地を借りて暮らしているという設定の元両親がそこに住んでいる。
読者側には犬ファーストにも程があるだろうと思わせるかもしれないが、うちの両親は大真面目である。それを証拠に実家では犬を犬と呼ぶと「生意気だねぇ、あの女。態度と身体ばっかり大きくてねぇ」などと敢えて私という本人に直接ではなく、犬呼ばわりされた犬に向けて私に聞こえるように物申して来るのだ。やり方が汚い。

偶に実家に帰ってご飯を食べる時、食卓テーブルを囲む際に寝ている犬を退けようとすれば一大事である。「この家で暮らしていない人がねぇ、この家で暮らす犬を勝手に退かしていいと本当に思っているんですか?」と苦言を呈されたりもする。大抵こういうことを言うのは父の方で、大抵この後に犬に向かって「言ってやったからね」などと大層恩着せがましいことを言う。実にどうでもいい豆知識だが、この「言ってやったからね」は母の口癖だ。要らぬところで夫婦愛を見せつけて来るなと私は言いたい。
当の犬は退かされそうになろうとも、それについて親子間での陰気な戦いがあろうとも、恩を着せられそうになろうとも、1日の9割をぐうぐう寝息をたてて眠っているので聞いちゃいない。何事にも動じず、犬関せずのターンに入ったと感じる今日この頃である。



この家の全てを手中に収めし偉大なる犬の寝顔

さて、今日はそんな犬の話をしよう。正しくは犬の老いについての話をしよう。犬、17歳。老犬、シニア、おばあちゃん、グランマなどと呼ばれる頃合いである。歳を取ればあちこち弱っていくのは人間も動物も変わらない。犬の老いについて記事を書いてから3年、犬はあれから更に老いた。私も3年分老いた。同じ足並みで同じだけ歳を取っている筈なのに、犬は寿命のフローリングを爪でチャカチャカ引っ掻いてどんどん先に行ってしまう。

例えば、最近の犬。1日のほとんどを眠って過ごしているが、偶にハッと目を覚ましてリビングをうろうろと歩き回る。ふらつきながら、時折立ち止まって匂いを嗅ぎながら、時に首を傾げてリビングの隅から隅まで歩く。
SNSにて「人間は犬によくどうしたのと聞くが、犬側は特にどうもしていない。どうかしているのは大抵人間」という内容の格言に出会い雷に打たれるような衝撃を受けたものの、犬が何を探しているのか?何を求めているのか?が気になって、ある程度犬のうろうろを眺めた後につい「どうしたの」を言ってしまう。
当然だが人間と同じ言葉を使うことの出来ない犬からの返事は無く、犬は私を一瞥して深いため息をつきながらまた歩き回るのだ。犬よ、おぉ犬よ。

歩き回るだけなら別に全然いいのだけど、何せ犬は老犬故に耳も遠く目がほとんど見えていない。歩けはしてもふらつくし、歩き回った末に何故か部屋の隅に鼻先を突っ込んで突如訪れたこの世の終わりとばかりに悲しげに鼻を鳴らす。ピィピィと悲しみに染まった泣き方は赤ん坊の頃から変わらない。歳を取った分、泣き方に深みがある気さえする。
ある日、その現場に遭遇し「そこに入ってしまった時はRにレバー入れて後退するんだよ」なんて小粋なアドバイスをしながら脱出の手伝いを試みた結果なんとかスムーズに脱出に成功したのだが、数10分後に同じ角にやはり鼻から突っ込み悲しげに泣く犬がまた発見された。
あぁそういや誰も端っこで泣かないようにと神は地球を丸くしたんだよというような歌詞の曲があったっけなぁ…としみじみ思い出しながら、私は数10分前と全く同じ手段で犬を部屋の角から救うのであった。角なんて存在する建築技法が施された家が悪いよ、犬は悪くないよ。

シニアということもあり、いつ何がどうなってもおかしくないので定期的に検査にも行く。検査の結果の詳細は言えないが、良くも悪くもないそうだ。
若かりし頃は全ての食べ物に、時に食べ物ではないものにさえも犬も食べても許される可能性を見出し縦横無尽に飛び跳ねてアピールしたものだが、最近は2日に1回好物をちょっと食べたら満足する落ち着きぶりである。かかりつけの獣医さんの言いつけを守り、犬が食べたいときに食べたいものを食べたい量食べさせる方向で暮らしている。
犬の好物は梨、文明堂のカステラ、バタークッキーのムーンライト、犬用の鰹節。他にも幾つかの好物があって、犬がいつどのタイミングで何を食べたがるか分からないから常に全てを常備している。そして犬がお腹を空かせて母に訴えにいったタイミングで、時代劇に出てくるお殿様の御膳のように好物だけが並んだトレイを犬の前に用意するのだ。流石は実家の領主ドッグである。

食べやすいようにカットされた梨、細かく切ったカステラ、食感を残しつつ細かすぎず大きすぎず計算して砕かれたクッキー、最終兵器魔法の粉と名高い犬用鰹節。これら全ては願いであり、祈りであり、愛だと思う。そして品物は違えど各家庭にこういった願いや祈りや愛があるんだと思う。

犬は、眠っている時間が増えた。3年前もよく眠っていたけれど、更にうんと増えた。偶に眠るように向こうに行ってしまったんではと恐ろしくなって肩を揺すってしまう。その度フゴッと鼻を鳴らし、ちゃんと迷惑そうな顔をしながら、小型犬から出る音とは思えぬ爆音のため息を吐きながらやはりまた眠る。安心と心配を日々繰り返す。

悪性ではないそうだが、身体のあちこちにイボが出ている。それを引っ掻いたり引っ掛けてしまうのか偶に血が出てしまう。高齢で傷が治りにくく寝床に血がついていたりする時、涙が出そうになる。痛くないか、辛くないかと都度聞いてしまうが犬は大抵いびきをかいて寝ている。
人間とは勝手なものだと思う。犬が若くて元気なうちは動物はまず人間と同じ言葉を喋らないのがいいなんて調子のいいことを言いながら、いざこうして調子が悪くなった様を見れば犬と話せたらなどと言い出す。言ってることが違うじゃないかとも言わず、野暮なこと言うんじゃないよとも言わず、犬は今日も寝ている。それはもう、ぐうぐうと。

昔は、犬がこうして生きているうちから終わりを見据えたことを考えたり言ったりするのは酷いことだと思っていた。だけど、色んな終わりを見たり立ち会ったりしているうちにそうじゃなかったんだなと思うようになってきた。
別れには心のクッションが必要なのだ、それも1個や2個じゃ足りない。底に目一杯敷き詰めておかなければいずれ来る別れが来た時落ちた底で粉々に砕けてしまう。
人間の脆さに今を生きる犬を巻き込むことを申し訳なく思いながらも、与えられた寿命上失ってもその先も生きていかなくてはいけないのは人間だから。だから多分、あの手この手で衝撃に耐える用意をする。失う覚悟とは、矛盾するが失いたくない一心でするものなのだと思う。

現に、切実に犬を人生から失いたくない。失いたくないけど、失う日がひたひたと近づいてくる。

犬が家に来た日、家の部屋の角に迷い込んで泣
く同じ声で泣きながらキャリーに入れられやって来た日。先住犬に吠えられひっくり返った日。前に進もうとすればするほど後ろに進む操作バグ発生の赤ん坊期を経て、今日という日まで無事に暮らしてくれている犬。愛してくれて、愛させてくれる犬。

生きる時間の長さはあまり関係なく、そうやって人と一緒に生きる動物全てに当てはまると思う。失った後にもっと生きてほしかったと思うのも愛、もっと出来ることがあったんじゃないか何かサインがあったんじゃないかと悔やむのも愛、失う手間に病気も怪我もしてほしくないが長生きをしてほしいという無茶なことを本気で願うのも愛。大体の感情の出処、大体産地が愛。テストに出ます。

同じ言葉を使って話せない、人間よりもずっと短い寿命の生き物が生涯掛けて人間に渡してくれるものの大きさ。それに対して渡せるものの少なさと釣り合わなさ。考えたってどうしようもないことを、途方に暮れてしまうと分かりきってることだって時に本気で考えさせさえもする。私にとってはそれが犬。かけがえのない犬。愛犬と書いて愛の犬、愛の犬がくれるのは犬なりの愛。その愛にどれだけ助けられたか、支えられたか、大丈夫にしてもらってきたか。

犬、長生きしてくれないかな。病気も酷くならず、何処も痛くなく、しんどくもなく。嗅いだ先にいつもいい匂いがしていればいいのに。焼きたてのパン、お父さんの作業着、抱き上げてくれるお母さんの腕の中。それが犬にとっての安心だから。犬が私の安心であるように、犬にはいつも安心していてほしい。
眠る時間が増え、夢の中で居住区や遊び相手を増やしているんだろうか。そしてそろそろこっちに行こうかなってタイミングが来たらそっちに行くんだろうか。そしたら嫌だけど、行って欲しくないけど、少なくとも犬がいつも遊んでる場所で一人ってわけじゃないからいいかもしれない。だけど、まだもう少し。出来る範囲内でいいから、もう少し。居てくれないかな、居なくならないでくれないかな。相変わらず角の多い家だけど、挟まっては困って泣かせるかもしれないんだけど。

そんな思いを込めて、何の前置きも無く「どうですか」とだけ聞いたところ、本犬はこの表情であった。人の気持ちも知らないでと思うけれど、私も犬の気持ちを知らないからお互い様だ。

人が泣いてるのに何だそのとぼけた顔は

あいしてると言えば同じ言葉で、発音で、あいしてるが返ってこなくてもいい。それでもいいと思えるくらい、あいしてる。犬、お前こそ愛犬と呼ぶにふさわしいよ。舌出てるけど。そりゃあもうどうかと思うほどに出てるけど、舌が。


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