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とどのつまり愛じゃん


2024年とは、私にとって激動の1年だった。

長らく勤めた職場を辞めた春、転職活動が続いた夏、最愛の犬が旅立って行ってしまった秋、辿り着いた新たな職場で仕事が始まったが幸先不安過ぎる冬。
身体的にもしんどけりゃ精神的にもお手上げプチョヘンザってなもんで、そんなこんなで何とか大晦日まで漂着した今日この頃。皆さんはいかがお過ごし?
何はともあれお元気な方も、お元気じゃない方も、一旦全員で円陣組んでミリも揃わぬ思い思いの掛け声なんか掛け合いたいものである。

私の2024年は上記の感じでそれはそれはてんやわんやのこてんのぱんだったため、2024開始早々に自分の中で決めたことがひとつあった。
それは自分の口癖を「愛じゃん」だと思い込むということだった。
皆さん、ご心配無く。私は正気である。現在進行形でこれをド真顔で打ち込んでいる。
別に何かの新興宗教にハマったとか、ある日突然神様の声を聞いたとかも言い出さないので安心して読み進めてくれたらこれ幸いだ。

「愛じゃん」を自分の口癖だと〃思い込む〃に全てが込められている気がする。
思い込んでいるのだから、別に私の本当の口癖なんかじゃないのだ。
本当の私の口癖は「あらどっこい」と「ハァよっこらせ」である。
最初はこのふたつを完全にノリで使っていたものの、年々私の中にしっかりと定着し始め、何ならこれらを言う時は心無しか私の後ろに志村けんさん演じるひとみ婆さんの姿が見えると私の中だけで話題だがこの話はいつかまた違う機会でするとしよう。

話を戻して、思い込んでいる方の口癖「愛じゃん」の話。

日記を読み返せば、この口癖を制定したのは4月7日だったようだ。
その日に特段何があったわけではなく、突然「今日から愛じゃんを自分の口癖だと思うことにする」とだけ書いてあった。
その日の私に一言言えるなら「理由を書け、理由を」である。理由が無い故に読み返した時の第一声が「えっ、何で?」だった。
自分にさえ常に新鮮な驚きを与え続ける女、それが私。

何で?と思いつつも、まぁ悪くない話だと思ってその日からそれを自分の口癖にした。

母ちゃんが「今日はカレーにするから家に食べにおいで」とLINEをくれることに「愛じゃん」
友達が雨の日も犬にレインコートを着せてまで片道2時間の散歩に行くことに「愛じゃん」
朝起きた自分が散らかり放題の部屋にガッカリしないように、自分で部屋を軽く掃除して眠ることにさえ「愛じゃん」

愛じゃん乱用が罪になるのであれば、私は今頃禁固380年くらいである。
それほどまでに乱用した。そういう1年だった。

これを口癖に定めてからも、別に魔法でも何でも無いので人生に辛いこともしんどいことも普通に訪れた。
それでも口癖を「愛じゃん」から「にゃろうめブッ飛ばすぞ」などに変更することなく、そのまま継続した2024年。
そんな今年があともう少しで終わろうとしている。

「愛じゃん」を口癖にして良かったことは、ノリで始めてノリで続けた割に後からよくよく考えたら本当にそれが愛だと感じることが多かったこと。
つまり、愛じゃんが本気(マジ)じゃんだったわけだ。
この書き方ではなんて軽薄で軽率な人生なんだと思われがちだが、この気付きはなかなか新発見だった。

愛は別に、何も大袈裟なものじゃなくていい。

コンビニの入口ですれ違う時、ドアをそっと押さえてくれた人が居ただとか。
自分はコーヒーをブラックで飲むけれど、一緒に過ごす人はカフェオレが好きだからそのためだけにスーパーに行けば牛乳を買うことだとか。
セルフレジでほとほと困り果てた様子のお年寄りにやり方を教え、レジでおつりを受け取るまでをつい見守ってしまっただとか。

そんなことも、あんなことも。さり気なく、何気なくそこにあるものをいちいち愛と呼びたい。大袈裟に愛にしてやりたい。
多分その方が楽しいから。恐らくその方が息がしやすいから。

なので、2025年の口癖も暫定「愛じゃん」でいく。

今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくね。

この時期特有のこの挨拶も、来年もそれとなくそこはかとなく関わり続ける気満々だなと思えば何だか可愛い。愛じゃん。

このノリで行けば多分明日には「今年もよろしくって、つまり今年もよろしくしてくれるってこと?愛じゃん」とか言い出すだろう。
この壺を買ってくれたらより一層愛じゃん……と言いながらおかしげな妙な壺を売りつけ始める前に、2024年の終わりを静かに待とうと思う。

え?2025年も応援してくれるの?

愛じゃん。

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