痕跡の話
最愛の犬が旅に出てからも人生は続いている。
11月1日からは仕事が始まった。
面接に行く前、もう起き上がることもままならなかった犬がよろけながら起き上がって私の膝に頭を擦り付けてくれた温もりをまだ覚えている。思い出すと右膝の膝頭がちょっと擽ったくなるくらい。
11月1日でワンワンワンってなもんで、なんか景気もノリもいい。
明るい職場の雰囲気もあり、毎日が覚えることの多さと研修続きで疲れはするものの何とかやっていけそうな気がする。
面接の日は犬がそうして私を送り出してくれた日で、内定の電話は火葬場にて待機時間に掛かってきたため、来たばかりというのに何かと犬に記憶が結びついている職場だ。職場側にしたらこれほどまでに知ったこっちゃない話というのもなかなかないだろう。
犬を失っても人生は続くけど、続きはしてもその人生がまだもう犬は何処にも居ないことに慣れていない。
犬は実家の2階のリビングを拠点に暮らしていた。だから、用事があって実家に寄るとまずは階段を上がる必要がある。どうでもいい呑気で適当な歌を歌いながら階段を上がっていくのが長年の癖になっていた。
犬が子犬の頃はその歌を聞けば一目散にリビングから駆け出してきて階段を登りきった先で満面の笑みで待っていてくれた。
老犬となってからはその歌も聞こえず、ぐうぐう眠ったままであることが多かったがそれでも構わなかった。犬に会いに来た証として口ずさむのが習慣として私の中に根付いたのかもしれない。
さながらリズミカルな通行証である。通行証と言う割に、歌詞は「かわいいベイビーおりますか🎶かわいいベイビー🎶」などと中身もクソもあったもんじゃないものなのだが。
それにおりますか🎶と言われても、室内犬なのだから居るに決まっている。居てくれなきゃ困る。犬攫いでも出ない限りは犬は居た。いつも居てくれたのだ、2階のリビングに。
もう、犬は居ない。
何処にも居ない。
分かっている。
火葬された日、骨になった犬を見た。尻尾の先まで綺麗に骨になった最愛を。父と母から事前に聞かされてはいたが、犬そのものだった。
火葬場に向かう途中、犬は私の膝の上に乗せていた。もう身体は冷たかったが毛並みは柔らかかった。車の振動や道路のちょっとした凸凹で車が軽く揺れる度、もしかして生き返ったんじゃないかと錯覚するほど。そんなはずはないのを分かっていながら、もしかしたらを何度も期待するくらい、犬はまだ犬のままだった。
しかし、焼かれてしまったらどうだろう。もうそんな期待も出来ない。生き返らない。尻尾の先まで綺麗に残して骨になった犬を見た瞬間から、あまりにも辛くて記憶がぶつ切りになっている。
覚えているのは大雨が降っていたこと、風が冷たかったこと、棺に横たわる犬の寝顔が相変わらず呑気だったこと、用意してもらったお花を添えたこと、大好きだったおやつや笛入りボールを入れてあげたこと。そして火葬し、骨になったこと。
あれだけ声をあげて泣いて犬はもう何処にも居なくなってしまったと思い知ったはずなのに、未だに実家に寄れば階段を登りながらふざけた歌を歌いそうになる。
階段には犬が階段から落ちないようにガードのようなものが置かれていたため、本来階段を上がってきたら人間は小型犬一匹分の高さのそれを跨がなければいけなかったが、もうその必要も無い。ガードも犬が亡くなってすぐに取り外された。当たり前だ、もう階段から落ちて怪我する心配をする必要が無い。その対象がもう居ない。
分かっていても尚、階段を上がりながら即興の歌を口ずさむ癖がやめられない。上がった先で虚無を跨ごうとするのをやめられない。
そこにもう満面の笑みで廊下を爪でチャカチャカ鳴らしながら踊るようにステップを踏んだ愛おしい毛むくじゃらが現れることはない。
分かっている。
とっくにもう分かっている。