エゴとドミナント
エゴを出すのがとても苦手な自分。
そんな自分がなぜドミナントという、一見するとエゴの塊のような立場に収まろうとしているのか。
昔の自分では到底予想だにし得なかったことが、今まさに現実となっている。
昔から、こうやって「もう一人の自分」と話をすることが当たり前だった。
一人っ子にはとてつもなく貴重な話し相手が必ず自分の中にいた。
幼少期には、多重人格なのでは?と厨二病のような考えに至ったこともあったが、後に心理学を通じて内言という思考プロセスの一種だと知ることになる。
内言にはいくつかの種類があると思うが、私の中で行われるのは、そのほぼ全てが「自己分析」を目的とした会話であり、自分を鼓舞するための会話が飛び交ったことは無いに等しい。こう文章にしてみると寂しい人間である。笑
思えば、幼少期から「わがまま」だとか「ナワバリ争い」だとか「友達の取り合い」だとか、そうしたものとは無縁の人生を生きてきた。
正確に言えば無縁ではなく、そこに巻き込まれぬように避けていた、と言うべきではあるが。
いずれにせよ、人間関係における自身のエゴという感覚が自分の中に存在していたことがなく、常に「誘われる側」の立場でこれまでの対人関係を構築してきた。
つまるところ、自分のエゴなんて必要なかったのである。
そんな生き方で満足していたにも関わらず、どうして主従というエゴに塗れた環境に足を踏み入れることを選んだのか。
そもそも自分にはエゴなんてないと思っていたのに、である。
今考えると、思春期にはドミナントとしての気質が形成されていたように思う。
ただその欲望は現実の誰かに表出すべきものでは無く、あくまで「フィクション」としての願望や理想と言った類のものであると考えていた。
思春期にしてはその辺りの分別が出来ていた。むしろ出来すぎていた。
だから、自分の中に閉じ込めていた。
多くはない恋愛経験と性経験の中で、この考えはより強固なものになっていた。
優しいことが正義と信じて疑わなくなっていた。
しかし裏垢という世界に足を踏み入れた時に、この考えは覆ることになる。
裏垢においては、誰しもが自分の欲望を「性癖」という形で表出し、それを自分の持ち札として照らし合い求め合い、また時には争い合う。
そうした世界において、自分自身の欲望を「性癖」として表出することを許された感覚があった。
ただ、それは必ずしも自分を満たすためではなく、相手を満たすための持ち札として表出することを無意識に自分で選んでいた。
エゴを出してはいけないという自分自身の枷によって、そう考えざるを得なかったのである。
次第に「D/s」という概念に触れ、自分がドミナントであることを自認するようになってからは、ドミナントであることを自分の持ち札としていた。
しかしこれはあくまで「性癖」としての話。
主従という関係も知識として持ってはいたが、自分がそんなエゴイストになれるビジョンが持てなかったのである。
そんな折、一人の女性に出会う。