自然にそうなってた

宗教でも自己啓発でもスピリチュアルでも、このように生きましょうとか、こう言う言葉を使いましょうとか身体に良いものを食べましょうとか色々言われています。

人に優しくしましょうとか、感情を揺らさないようにしましょうとか、悪口は言わないようにしましょうとかは努力してできるっちゃできるけど、意識が変わってないと必ず頭打ちになると思います。

外ばかり向いてたら、言われたことを実践しても多分何も変わらないです。

私たちには現実が現れるからそれに真摯に向き合い対処していかないと生きていけません。

修行僧のように誰とも話さず一日中瞑想している訳にはいかない。

じゃあどうやって内側を観ればいいかというと、目の前の現実を使って自分を知るということをやっていく必要があります。

自分を表現して教えてくれるのが感情です。

どんなことが起きた時にどんな感情が浮かんでくるかって人それぞれです。ひとりひとりオリジナルの感情を持っているのです。その感情を作り出した経験が皆違うのだから当たり前です。

目の前の現実に対して浮かび上がる感情を観る視点を持ち、常に自分を俯瞰で観ることを癖づける。

「あーわたしむかついてんな」「いまもやっとしたね」ともう一つの少し高い視点で見るのです。

感情が浮かびあがってくるのを繊細に感じとり、その感情をじっくりと味わう。すっぽりとその感情に入り込んじゃう。するとじんわりとしたり苦しくなったり泣けてきたりする時もあります。じっと感じて自分が作って心の奥深くにしまってきた感情を愛します。

これを繰り返し行っていくとね、不思議と心がスッキリして現実が少し明るくクリアに見えてきます。

そして気づくと今まで問題と思っていたことが問題じゃなくなってる。

それが意識が高くなるとか広くなるとかズームアウトするとか言われていて、広がれば広がるほど物事をより多角的により深く見ることができるようになるんです。

でもね、、、あんまりにも荷物が重かったり、カバンの中がぐちゃぐちゃだといきなり俯瞰して見るのが難しかったりするんです。

私がまさにそうだったから。

あくまでも私のやり方だから人におすすめして良いかわからないけど、私は自分の感情を見始めた当初、もう苦しくて大きくてどうしようもない感情が出てきた時には身体の中からそれを取り出して、一番大きな存在にお返しするイメージをした。

私は本当にぐっちゃぐちゃだったから、とにかく半年間これを優先して徹底的にやった。

ある程度スッキリお片付けができたなと思った時に、このやり方はもうやめようと思った。

俯瞰して感情を観るのは変わらないのだけど、今度は自分の感情を味わって愛そうと思った。なぜならすごく感情が愛おしく思えたから。

この道はこれさえやれば意識が広がるというものはないと思ってる。

人それぞれほんとにやり方が違う。

心のガイダンスに耳を傾けて探り探りやっていくしかないんだよ。間違える時だってある間違えたと思ったらやり直せばいい。

こうやって意識を少しずつ少しずつ広げていくと、いつの間にか身体に悪い食べ物は身体に入れなくなってる、人の悪口を言わなくなってる、優しくなってる、嘘つかなくなってる、感情が安定してくる、人を尊重するようになってる、本質を見極めることができるようになってる。

そういうものなんだとおもう。それが自然で絶対に後戻りしないやり方。

後から考えてみると何もこうしようと思ってやった訳ではないのに自然とそうなってたなとおもう。

その為のキーはやはり感情と向き合うこと。それがどの道にも共通すること。

巷には感情との向き合う方法の情報は溢れてる。

一つのやり方、一人の人、一つの団体に固執せず、自分にしっくりくるものから始めて、段々と自分のものにしていくと良いと思う。

これは誰も助けられないから自分でやるしかない。

自分がどのくらいやばいくらい荷物を背負い込んじゃってるかって自分でわかると思う。

荷物が多くて、本質からかけ離れちゃってる人は一定期間はかなり集中してコミットしてやり続けることが必要だと思う。

ある程度までは生半可な気持ちでは超えられない厳しい道だと思う。でもそこを越えればニュートラルで進んで行ける。

目の前の現実を見て、私ってこんな人生生きたかったんだっけ?とふと思った時が始める時です!

☀️🌕













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