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人形の顔について

昨年、娘が生まれて初めてのひな祭りを迎えるということで、ひな人形を買いに行った。

私には姉がいるので、家にも大きな七段飾りのひな人形があった。
寝室にあり、布団に寝転がって右を向けばテレビ、左を向けばひな人形という配置で、そのひな人形が幼いころはそれはまあ怖かった。なんか目がジロッと動いたりするんじゃないかとか、髪が伸びたりとかするんじゃないかとか、幼いながらもたくましい想像力を働かせて怖がった。母はそれを見て面白がって私をよく脅していたものである。
左を向いて眠りたいときにはひな人気を見ないよう、目をぎゅっと閉じていて、知らぬうちに眠りに落ちていたものである。

そんな経緯もあって、私自身ひな人形のような日本人形の顔というのは「なんか怖い」というイメージを持っていた。しかし怖い怖いといっても娘のためにひな人形を買わねばならない。意を決して浅草に向かうと、うさんくさいおじさんが子持ちの夫婦を狙ってチラシか何かを配っている。
時期も手伝ってひな人形や兜のセールをやってるのか、「ほら、とれよ」みたいな感じで乱暴にチラシを目の前に出してくる。まず風貌からして清潔感がない。一言で言えば汚いおじさんがチラシを配っているわけで、こんなものを誰が取るのか疑問で仕方なかった。

さて、人形と言えば「人形の久月」か「顔が命の吉徳」のいずれかが有名だ。私たちは久月に向かい、とりあえず現代のひな人形がどんなものなのかをいろいろ見てみることにした。
やはり高級なひな人形は伝統的なつくりになっているせいか、私がかつて見たような「怖い」顔をしている。「やはり人形の顔は変わらないものか」と思ったのだが、別の人形を見ているとどうやらそうでもないらしい。若干、顔が変わっているような気がしたのだ。

たとえるなら、韓国のアイドルのような感じの顔であり、カメラのフィルターのかかった顔をしているように見えた。幼年期に感じた恐ろしさを呼び起こすような、引き締まった顔つきのなかに日本特有の丸みみたいなものがあるというよりは、幼さと目の鋭い細さがより強く表現されているのだ。

我々夫婦はそのフィルターっぽいひな人形の顔つきがどうにも気に入らず、どうしたものかとふらふらと店内を歩いていたところ、あるひな人形が目に留まった。
いわゆる「おぼこ顔」のひな人形だという。丸々とした顔つきが丸顔LOVERである私にはとても魅力的に映った。目がもはや開いていないので笑っているように見えるのも好印象である。奥さんと話して購入を決めたので、残念ながら吉徳に足を運ぶことはなかった(すいません)。

あまり詳しくないが、日本人形にも顔つきのトレンドがあるのだろうし、もっと昔であれば顔つきがだいぶ違ったのであろうと思う。
伝統を受け継いで同じように繰り返す様式こそが美しいとばかり思っていたが、少しずつ少しずつ変わりゆくのが伝統というものなのだろうか。その繰り返される年月とは、同じことを繰り返す日々のようにみえて、同じ一日はひとつとしてないのかもしれない。

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